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リチャードジノリ > アマデウス・トリオンフォ・イタリアーノ

輸入洋食器店アイン お宝倉庫
大阪市にある洋食器、輸入食器専門店のアイン
ウェッジウッド、マイセン、バカラ、ロイヤルコペンハーゲンなど
様々な食器を販売しております
  • リチャードジノリ 【アマデウストリオンフォイタリアーノ】 キャンドルスタンド H9cm 30%Off
    リチャードジノリ 【アマデウストリオンフォイタリアーノ】 キャンドルスタンド H9cm 30%Off
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    本体価格: ¥56.000


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    トリオンフォ 勝利


    ルネサンス期の演劇を語る場合のもう一つの重要な点は,宮廷で支配者の権力を誇示するための大規模な祝祭が行われたことである。イタリアではトリオンフォと呼ばれる祝祭行列が,例えば1477年フィレンツェ,90年ミラノや ヴェネツィア・サンマルコ広場での守護聖人聖十字架の行列などで行われているが,そこでは神々の壮麗な衣装や,天体の機械仕掛け,想像上の動物などが現れ,本物の動物も使われている。ルネッサンス期のイギリスの宮廷ではインタールードと呼ばれる滑稽な幕間劇や仮面劇も行われた。このような宮廷祝祭は,バレエやオペラの温床にもなるとともに,次の時代にはさらなる展開をみせてバロック的な演劇を開花させていくのである。


    1874 の行列のコーパス・クリスティの祝祭教会ウィーン
    コーパス・クリスティの祝祭教会 1874 の行列  ウィーン

    聖体の祝日(ラテン語: コーパス・クリスティ)あるいは聖体祭は、西方カトリックの祝日である。また若干の英国国教会や一部のルーテル教会、リベラル・カトリック教会などでも祝われる。これは聖体をあがめる祝日であって、イエスの人生での特定の出来事を祝うものではない。この木曜の祝日は、最後の晩餐における聖体の秘蹟と結び付けられている。この祝日は、三位一体の主日の後の木曜日に、または、一部で日曜日に持たれる。現在のカトリック教会典礼では、この祝日は至聖なるキリストの体と血の儀式とされている。
    多くの英語圏の国では聖体の祝日は、カトリックでも英国国教会派でも、三位一体の主日の後の日曜日へ移されている。ミサ終了後、聖体の行列(しばしば屋外)を行うのが慣例で、そして聖体の祝福が続く。

    コーパス ・ クリスティの行列 サンファン教会
    コーパス ・ クリスティの行列 サンファン教会


    アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。


    アマデウスシェープ アール・デコ様式

    ジオ・ポンティ原作 

    建築家としても知られた アート・ディレクターの ジオ・ポンティ氏は リチャードジノリの中興の祖としても有名 


    お店で トリフォンフォイタリアーノを 見たお客さんが 言われます。

    美しいですね。


    私は お答えします。

    コレは ドッチアミュージアムと アインでしか見られません。
    ジノリ 中興の祖 ジオ・ポンティ造型・原画の 美術品です。それにしても 巨匠による この逸品を 美しいといわれる 貴方のお眼は 時空を超えて 巨匠のお眼眼と 一体です。      


    「洋食器ーそれは交響楽(オーケストラ)です。」 詳しくは コチラをクリック してください。


    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。


    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。


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    7,560円

    本体価格: ¥10.000

    写真をクリックすると ドッチア窯 金ロゴが見られます。

    アマデウスシェープ アール・デコ様式

    ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
    ジオ・ポンティ原作 
    建築家としても知られた アート・ディレクターの 
    ジオ・ポンティ氏は リチャードジノリの中興の祖としても有名

  • リチャードジノリ・アマデウス・トリオンフォ・イタリアーノ ポット 1.1L 30%Off
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    40,068円
    本体価格: ¥53.000

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    アマデウスシェープ アール・デコ様式

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     美しいですね。

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    コレはよく お部屋の飾りとして 買われます。
    ジノリ 中興の祖 ジオ・ポンティ造型・原画の 美術品です。それにしても 巨匠による この逸品を 美しいといわれる 貴方のお眼は 時空を超えて 巨匠のお眼眼と 一体です。

  • リチャードジノリ・アマデウス・トリオンフォ・イタリアーノ シュガー 30%Off
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    29,484円

    本体価格: ¥39.000

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    建築家としても知られた アート・ディレクターの 
    ジオ・ポンティ氏は リチャードジノリの中興の祖としても有名

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    リチャードジノリ・アマデウス・トリオンフォ・イタリアーノ クリーマー  30%Off
    21,168円
    本体価格: ¥28.000

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    アマデウスシェープ アール・デコ様式

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    ジオ・ポンティ原作 
    建築家としても知られた アート・ディレクターの ジオ・ポンティ氏は リチャードジノリの中興の祖としても有名

    お店で トリフォンフォイタリアーノを 見たお客さんが 言われます。
     美しいですね。

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  • リチャードジノリ・アマデウス・トリオンフォ・イタリアーノ 26.5cmプレート 30%Off
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    15,876円
    本体価格: ¥21.000

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     道具尽くし

    アマデウスシェープ アール・デコ様式

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    ジオ・ポンティ原作 
    建築家としても知られた アート・ディレクターの ジオ・ポンティ氏は リチャードジノリの中興の祖としても有名

    お店で トリフォンフォイタリアーノを 見たお客さんが 言われます。
     美しいですね。

     私は お答えします。
    コレはよく お部屋の飾りとして 買われます。
    ジノリ 中興の祖 ジオ・ポンティ造型・原画の 美術品です。それにしても 巨匠による この逸品を 美しいといわれる 貴方のお眼は 時空を超えて 巨匠のお眼眼と 一体です。
     

  • リチャードジノリ・アマデウス・トリオンフォ・イタリアーノ ティーC/S  30%Off
    リチャードジノリ・アマデウス・トリオンフォ・イタリアーノ ティーC/S  30%Off
    18,900円

    本体価格: ¥25.000


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    ルネサンス期の演劇を語る場合のもう一つの重要な点は,宮廷で支配者の権力を誇示するための大規模な祝祭が行われたことである。イタリアではトリオンフォと呼ばれる祝祭行列が,例えば1477年フィレンツェ,90年ミラノや ヴェネツィア・サンマルコ広場での守護聖人聖十字架の行列などで行われているが,そこでは神々の壮麗な衣装や,天体の機械仕掛け,想像上の動物などが現れ,本物の動物も使われている。イギリスの宮廷ではインタールードと呼ばれる滑稽な幕間劇や仮面劇も行われた。


    トリオンフォ 勝利
    「IL TRIONFO DI NETTUNO」 ポセイドンの勝利 (ニコラ・プッサン作 1634)
    ギリシャ神話海の大神ポセイドンを讃えた作品で、画面左、三又の矛を持ち 馬の牽く戦車に乗るのがポセイドン。ポセイドンと見つめ合う中央の女性は妻のアンピトリテ。ポセイドンから求婚の際送られたイルカをひいています。そのまわりには海の女神(ニンフ)ネレイスたち、そして天使達が花をまいたり、黄金の矢(愛情を芽生えさせる矢)を構えたりと、賑やかなお祭りです。


    ポセイドーンは、ギリシア神話の海と地震を司る神である。ローマ神話では ネプチューン。最高神ゼウスに次ぐ圧倒的な強さを誇る。海洋の全てを支配し、全大陸すらポセイドーンの力によって支えられている。怒り狂うと、強大な地震を引き起こして世界そのものを激しく揺さぶる。また、地下水の支配者でもあり、泉の守護神ともされる。日本語では長母音を省略してポセイドンとも呼ぶ。ゼウス・エナリオス(海のゼウス)と呼ばれるほどポセイドンの地位と実力は高く、その支配力は全物質界に及んだ。ティーターノマキアーの際にキュクロープスから贈られた三叉の矛(トリアイナ)を最大の武器とし、これによって大海と大陸を自在に支配する。これを使えば容易く嵐や津波を引き起こし、大陸をも沈ませることができる上に、万物を木端微塵に砕くことができる。世界そのものを揺さぶる強大な地震を引き起こすことも可能で、そのあまりの凄まじさに、地球が裂けて冥界が露わになってしまうのではないかと冥王ハーデースが危惧したほどである。また、山脈を真っ二つに引き裂いて河の通り道を造ったり、山々と大地を深く切り抜いて海中へと投げて島を造ったこともある。馬との関わりが深く、競馬の守護神としても崇められた。故にその象徴となる聖獣は馬、牡牛、イルカであり、聖樹は松である。真鍮の蹄と黄金のたてがみを持った馬、またはヒッポカムポス「海の馬(半馬半魚)」の牽く戦車に乗る。


    アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。


    アマデウスシェープ アール・デコ様式


    ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
     ジオ・ポンティ原作 
    建築家としても知られた アート・ディレクターの 
    ジオ・ポンティ氏は リチャードジノリの中興の祖としても有名 


    お店で トリフォンフォイタリアーノを 見たお客さんが 言われます。
     美しいですね。

     

    私は お答えします。
    コレは ドッチアミュージアムと アインでしか見られません。
    ジノリ 中興の祖 ジオ・ポンティ造型・原画の 美術品です。それにしても 巨匠による この逸品を 美しいといわれる 貴方のお眼は 時空を超えて 巨匠のお眼眼と 一体です。     


    <a href="http://einsshop.blog43.fc2.com/blog-entry-25874.html" target="_blank" title="「洋食器ーそれは交響楽(オーケストラ)です。」 詳しくは コチラをクリック">「洋食器ーそれは交響楽(オーケストラ)です。」 詳しくは コチラをクリック</a> してください。


    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


    ジノリ カポデモンテ ナポリ窯 の真贋について
    スペイン・ブルボン家のカルロス王子・パルマ公(1716年 - 1788年)は ポーランド継承戦争(1733年 - 1735年)が起こると、フランス王ルイ15世の支援を受け、兵を集めて1734年、オーストリア領シチリアとナポリを占領した。南イタリアは 13世紀から代々スペイン領であったが、先のスペイン継承戦争(1701年 - 1713年)でオーストリアに 奪われた土地であった。1735年 ナポリ王、シチリア王(在位:1735年 - 1759年)に即位してカルロ7世およびカルロ5世となる。当時、ナポリとシチリアは 別々の王国として扱われたが、実質的にはこの時 両シチリア王国が成立したといえる。1738年、ザクセン選帝侯兼ポーランド王アウグスト3世の長女マリア・アマリア・フォン・ザクセン(神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の孫でもある)と結婚した。彼女は王に愛され 生涯にわたり13人の子をなすのですが 初めの40,42年の2人の娘は 喜びも束の間に夭折します。1743年 3人目の娘が無事に生まれ 喜びの中 マリア・アマリアは 磁器王女(マイセン創窯のアウグスト強襲王・ポーランド王の孫娘)に相応しいカポディモンテ窯を創設させました。(蝶よ花よと育てられたこの姫も6歳にしてなくなるのですが 前年には後継ぎのカルロス4世を儲けております。更に前年の長男フェリペは 病により継承辞退。)
    1759年、カルロスは 異母兄フェルナンド6世の死去によりスペイン王即位の為、スペインに帰国し カルロス3世に就く。カルロス3世は、ブルボン朝のスペイン王(在位:1759年 - 1788年)スペインの啓蒙専制君主と言われる。帰国に際し、カポディモンテ窯はモールドは 勿論 職人も含めて、総てを スペインのBuen Retiro (1808年まで生産が続けられた。)に譲渡されました。両シチリア王国の王位は 8歳の三男フェルナンド(フェルディナンド1世)に譲られた。


    1771年 王妃マリア・カロリーナ ナポリ窯創設の根拠。
    フェルディナンド1世(1751年 - 1825年)は、両シチリア王国の最初の王(在位:1815年 - 1825年)。シチリア王としてはフェルディナンド3世(在位:1759年 - 1815年)、ナポリ王としてはフェルディナンド4世(在位:1759年 - 1806年、1815年)を名乗っていた。
    スペイン王カルロス3世とマリア・アマリア・フォン・ザクセンの三男、カルロス4世の弟。妻は神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの娘でフランス王妃マリー・アントワネットの姉であるマリア・カロリーナである。
    マリア・カロリーナ
    当初はフランス王ルイ16世との縁組みが考えられていたが、ナポリ王と婚約していたすぐ上の姉マリア・ヨーゼファが1767年、結婚直前に急死したため、翌1768年に急遽マリア・カロリーナがナポリのフェルディナンド4世へ嫁ぐことになった。突然の結婚に、同じ部屋で暮らし非常に親しかった妹マリア・アントーニア(マリー・アントワネット)は大変悲しんだという。
    婚前の約束から、政治に興味を持たなかった夫フェルディナンドに代わって政治の実権を握った。長きにわたって続いたスペインの政治的干渉からナポリ王国を解放し、前国王時代から政治を牛耳っていたベルナルド・タヌッチを追放、兄レオポルト2世にならい士官学校を作り、軍隊の再編をしている。また、多くの子にも恵まれ、母マリア・テレジアに最も似た人生を送った。軽率なマリー・アントワネットではなくマリア・カロリーナが当初の予定通りフランス王妃となっていたら、歴史は大きく異なっていたと言われている。
    フェルディナンド1世は アウグスト強襲王(強精と強力は 夙に有名で 両手で 馬の蹄鉄をへし折って 驚く人にご満悦)血筋ゆえか 体力に恵まれ性格も非常に善良であったが、王族としての正式な教育を受けておらず、若い頃から重要な書類には家臣に自分のサインのスタンプを押させ、自らは狩りやスポーツに明け暮れた。性格が正反対と言ってもいいマリア・カロリーナ妃が嫁ぐとすぐに妃に夢中になった。妃からは教養の無さや行儀作法の悪さを「かわいいおばかさん」と呼ばれていた。しかし夫婦仲は良好であり、子に恵まれ家庭生活は幸せなものであった。結婚時の約束の一つに、妃が王子を産めば摂政になれるという約束があり、王子誕生後は政治的実権は完全にマリア・カロリーナが握っており、フェルディナンドは狩りや社交に徹していた。
    フェルディナンド1世は女性の手、特に手袋をした手を偏愛しており、マリア・カロリーナは何か頼みごとがある時は長手袋の手をすっと彼に差し出していた。フェルディナンドはうっとりとし、何でも妃の願い事を聞いたという。
    庶民の食べ物であった細打ちのパスタ(いわゆるスパゲティ)を気に入り、宮廷で供するよう命じたが、当時スパゲティは手づかみで食べるものであり、マリア・カロリーナから下品であると反対された。このことからパスタを食べるための道具としてフォークが採用されたという。1820年のカルボナリによって引き起こされたナポリ革命後は妃の故里ウィーンに亡命。晩年はアブルッツォやリエーティで暮らし、ナポリで亡くなった。


    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。
     


  • リチャードジノリ 【アマデウストリオンフォイタリアーノ】 モカC/S 30%Off
    リチャードジノリ 【アマデウストリオンフォイタリアーノ】 モカC/S 30%Off
    15,120円

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    ルネサンス期の演劇を語る場合のもう一つの重要な点は,宮廷で支配者の権力を誇示するための大規模な祝祭が行われたことである。イタリアではトリオンフォと呼ばれる祝祭行列が,例えば1477年フィレンツェ,90年ミラノや ヴェネツィア・サンマルコ広場での守護聖人聖十字架の行列などで行われているが,そこでは神々の壮麗な衣装や,天体の機械仕掛け,想像上の動物などが現れ,本物の動物も使われている。イギリスの宮廷ではインタールードと呼ばれる滑稽な幕間劇や仮面劇も行われた。



    サン・マルコ広場での聖十字架の行列 1496 アカデミア美術館(ヴェネツィア)
    サン・マルコ広場での聖十字架の行列 1496 アカデミア美術館(ヴェネツィア)

    《マルコ》の名は非常な幸運を意味し、それはローマ時代のパレスティナのヘブライ民族でもそうであった。聖ペテロと聖パウロの弟子であり代弁者であったマルコは、4人の福音史家の一人である。伝説によれば、彼はエジプトのアレクサンドリアで殉教したという。彼の骨は828年、2人のヴェネツィア商人が盗んで、食料品を一杯に積み込んだ大きな籠の下に隠して、持ち去った。こうして聖人の遺体はヴェネツィアに到着し、聖マルコは町の守護神となり、世界で最も美しい教会の一つ、サン・マルコ寺院に保管されている。


    トリオンフォ 勝利

    ギリシャ神話海の大神ポセイドンを讃えた作品で、画面左、三又の矛を持ち馬の牽く戦車に乗るのがポセイドン。ポセイドンと見つめ合う中央の女性は妻のアンピトリテ。ポセイドンから求婚の際送られたイルカをひいています。そのまわりには海の女神(ニンフ)ネレイスたち、そして天使達が花をまいたり、黄金の矢(愛情を芽生えさせる矢)を構えたりと、賑やかなお祭りです。


    IL TRIONFO DI NETTUNO (Nicolas Poussin 1634)
    「IL TRIONFO DI NETTUNO」 ネプチューン(ポセイドン)の勝利 (ニコラ・プッサン作 1634)


    ポセイドーンは、ギリシア神話の海と地震を司る神である。ローマ神話では ネプチューン。最高神ゼウスに次ぐ圧倒的な強さを誇る。海洋の全てを支配し、全大陸すらポセイドーンの力によって支えられている。怒り狂うと、強大な地震を引き起こして世界そのものを激しく揺さぶる。また、地下水の支配者でもあり、泉の守護神ともされる。日本語では長母音を省略してポセイドンとも呼ぶ。ゼウス・エナリオス(海のゼウス)と呼ばれるほどポセイドンの地位と実力は高く、その支配力は全物質界に及んだ。ティーターノマキアー(下記詳細)の際にキュクロープスから贈られた三叉の矛(トリアイナ)を最大の武器とし、これによって大海と大陸を自在に支配する。これを使えば容易く嵐や津波を引き起こし、大陸をも沈ませることができる上に、万物を木端微塵に砕くことができる。世界そのものを揺さぶる強大な地震を引き起こすことも可能で、そのあまりの凄まじさに、地球が裂けて冥界が露わになってしまうのではないかと冥王ハーデースが危惧したほどである。また、山脈を真っ二つに引き裂いて河の通り道を造ったり、山々と大地を深く切り抜いて海中へと投げて島を造ったこともある。馬との関わりが深く、競馬の守護神としても崇められた。故にその象徴となる聖獣は馬、牡牛、イルカであり、聖樹は松である。真鍮の蹄と黄金のたてがみを持った馬、またはヒッポカムポス「海の馬」の牽く戦車に乗る。


    打ち負かされるティーターン
    打ち負かされるティーターン

    ティーターノマキアーは、ギリシア神話で語られるゼウス率いるオリュンポスの神々と、クロノス率いる巨神族ティーターンとの戦いである。全宇宙を崩壊させたこの大戦は、終結させるのに10年もの歳月が必要であった。ヘーシオドスの『神統記』などに語られている。
    クロノスからゼウスが王権を奪った後、オリンポス山に布陣したゼウスたちと、オトリュス山に布陣したティーターンたちは争った。この戦いは山々が根本から大きく揺らぎ、世界を崩壊させるほどの規模であった。しかし、当初こそステュクス一党がティーターンを裏切るなどの動きがあったものの、不死の神々どうしの戦いは互いに決め手を欠き、10年の間決着を見なかった。
    ガイアはゼウスたちに、ウーラノスがタルタロスの領域に幽閉した三人のヘカトンケイル(百手巨人)たちと、三人のキュクロープスを味方に付ければ勝つことができると助言した。ゼウスたちは彼らを解放し、ネクタルとアムブロシアーを与えて味方にした。
    キュクロープス達は助けてくれた礼にとゼウスたちに武器を作って献上した。彼らは、ゼウスには万物を破壊し燃やし尽くす雷霆、ポセイドーンには大海と大陸を支配する三叉の矛、ハーデースには姿を見えなくすることのできる隠れ帽を与えた。
    両軍は再び激突し、心強い味方と究極の武器を手にしたオリュンポス勢が常に優位に立った。ポセイドーンの三叉の矛の力で全地球は凄まじく揺れ動き、姿を消したハデスがティーターンたちの武器を奪った。ヘカトンケイルたちは一度に300の巨大な岩石を休みなく投げ続けてティーターンたちを打ち負かした。
    ゼウスは雷霆を容赦なく投げつけ、その圧倒的な威力によって天界は崩れ落ち、見渡す限りの天地は逆転した。全空間に漲る雷光はティーターン神族の目を焼き、瞬く間に視力を奪った。雷霆から迸る聖なる炎は地球を尽く破壊し、全宇宙とその根源を成すカオスすらゼウスの雷火によって焼き尽くされた。
    ティーターンたちはオリュンポス勢の想像を絶する猛攻に耐え切れず、遂に10年も続いた神々の大戦に終止符が打たれた。こうして、オリュンポスの神々は華々しい勝利を飾った。その後、不死身であったティーターン族はタルタロスの深淵へと封印され、オリュンポスの支配が始まった。


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     ジオ・ポンティ原作 
    建築家としても知られた アート・ディレクターの ジオ・ポンティ氏は リチャードジノリの中興の祖としても有名 


    お店で トリフォンフォイタリアーノを 見たお客さんが 言われます。

     美しいですね。


    私は お答えします。

    コレは ドッチアミュージアムと アインでしか見られません。ジノリ 中興の祖 ジオ・ポンティ造型・原画の 美術品です。それにしても 巨匠による この逸品を 美しいといわれる 貴方のお眼は 時空を超えて 巨匠のお眼眼と 一体です。


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    フェルディナンド1世は女性の手、特に手袋をした手を偏愛しており、マリア・カロリーナは何か頼みごとがある時は長手袋の手をすっと彼に差し出していた。フェルディナンドはうっとりとし、何でも妃の願い事を聞いたという。


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    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


    ジノリ カポデモンテ ナポリ窯 の真贋について
    スペイン・ブルボン家のカルロス王子・パルマ公(1716年 - 1788年)は ポーランド継承戦争(1733年 - 1735年)が起こると、フランス王ルイ15世の支援を受け、兵を集めて1734年、オーストリア領シチリアとナポリを占領した。南イタリアは 13世紀から代々スペイン領であったが、先のスペイン継承戦争(1701年 - 1713年)でオーストリアに 奪われた土地であった。1735年 ナポリ王、シチリア王(在位:1735年 - 1759年)に即位してカルロ7世およびカルロ5世となる。当時、ナポリとシチリアは 別々の王国として扱われたが、実質的にはこの時 両シチリア王国が成立したといえる。1738年、ザクセン選帝侯兼ポーランド王アウグスト3世の長女マリア・アマリア・フォン・ザクセン(神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の孫でもある)と結婚した。彼女は王に愛され 生涯にわたり13人の子をなすのですが 初めの40,42年の2人の娘は 喜びも束の間に夭折します。1743年 3人目の娘が無事に生まれ 喜びの中 マリア・アマリアは 磁器王女(マイセン創窯のアウグスト強襲王・ポーランド王の孫娘)に相応しいカポディモンテ窯を創設させました。(蝶よ花よと育てられたこの姫も6歳にしてなくなるのですが 前年には後継ぎのカルロス4世を儲けております。更に前年の長男フェリペは 病により継承辞退。)
    1759年、カルロスは 異母兄フェルナンド6世の死去によりスペイン王即位の為、スペインに帰国し カルロス3世に就く。カルロス3世は、ブルボン朝のスペイン王(在位:1759年 - 1788年)スペインの啓蒙専制君主と言われる。帰国に際し、カポディモンテ窯はモールドは 勿論 職人も含めて、総てを スペインのBuen Retiro (1808年まで生産が続けられた。)に譲渡されました。両シチリア王国の王位は 8歳の三男フェルナンド(フェルディナンド1世)に譲られた。


    1771年 王妃マリア・カロリーナ ナポリ窯創設の根拠。
    フェルディナンド1世(1751年 - 1825年)は、両シチリア王国の最初の王(在位:1815年 - 1825年)。シチリア王としてはフェルディナンド3世(在位:1759年 - 1815年)、ナポリ王としてはフェルディナンド4世(在位:1759年 - 1806年、1815年)を名乗っていた。
    スペイン王カルロス3世とマリア・アマリア・フォン・ザクセンの三男、カルロス4世の弟。妻は神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの娘でフランス王妃マリー・アントワネットの姉であるマリア・カロリーナである。
    マリア・カロリーナ
    当初はフランス王ルイ16世との縁組みが考えられていたが、ナポリ王と婚約していたすぐ上の姉マリア・ヨーゼファが1767年、結婚直前に急死したため、翌1768年に急遽マリア・カロリーナがナポリのフェルディナンド4世へ嫁ぐことになった。突然の結婚に、同じ部屋で暮らし非常に親しかった妹マリア・アントーニア(マリー・アントワネット)は大変悲しんだという。
    婚前の約束から、政治に興味を持たなかった夫フェルディナンドに代わって政治の実権を握った。長きにわたって続いたスペインの政治的干渉からナポリ王国を解放し、前国王時代から政治を牛耳っていたベルナルド・タヌッチを追放、兄レオポルト2世にならい士官学校を作り、軍隊の再編をしている。また、多くの子にも恵まれ、母マリア・テレジアに最も似た人生を送った。軽率なマリー・アントワネットではなくマリア・カロリーナが当初の予定通りフランス王妃となっていたら、歴史は大きく異なっていたと言われている。
    フェルディナンド1世は アウグスト強襲王(強精と強力は 夙に有名で 両手で 馬の蹄鉄をへし折って 驚く人にご満悦)血筋ゆえか 体力に恵まれ性格も非常に善良であったが、王族としての正式な教育を受けておらず、若い頃から重要な書類には家臣に自分のサインのスタンプを押させ、自らは狩りやスポーツに明け暮れた。性格が正反対と言ってもいいマリア・カロリーナ妃が嫁ぐとすぐに妃に夢中になった。妃からは教養の無さや行儀作法の悪さを「かわいいおばかさん」と呼ばれていた。しかし夫婦仲は良好であり、子に恵まれ家庭生活は幸せなものであった。結婚時の約束の一つに、妃が王子を産めば摂政になれるという約束があり、王子誕生後は政治的実権は完全にマリア・カロリーナが握っており、フェルディナンドは狩りや社交に徹していた。
    フェルディナンド1世は女性の手、特に手袋をした手を偏愛しており、マリア・カロリーナは何か頼みごとがある時は長手袋の手をすっと彼に差し出していた。フェルディナンドはうっとりとし、何でも妃の願い事を聞いたという。
    庶民の食べ物であった細打ちのパスタ(いわゆるスパゲティ)を気に入り、宮廷で供するよう命じたが、当時スパゲティは手づかみで食べるものであり、マリア・カロリーナから下品であると反対された。このことからパスタを食べるための道具としてフォークが採用されたという。1820年のカルボナリによって引き起こされたナポリ革命後は妃の故里ウィーンに亡命。晩年はアブルッツォやリエーティで暮らし、ナポリで亡くなった。


    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。

     


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    本体価格: ¥120.000

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     ジオ・ポンティ原作 
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    トリオンフォ 勝利
    ルネサンス期の演劇を語る場合のもう一つの重要な点は,宮廷で支配者の権力を誇示するための大規模な祝祭が行われたことである。イタリアではトリオンフォtrionfoと呼ばれる祝祭行列が,例えば1477年フィレンツェ,90年ミラノや ヴェネツィア・サンマルコ広場での守護聖人聖十字架の行列などで行われているが,そこでは神々の壮麗な衣装や,天体の機械仕掛け,想像上の動物などが現れ,本物の動物も使われている。イギリスの宮廷ではインタールードと呼ばれる滑稽な幕間劇や仮面劇も行われた。


    フーリオ・カミッロの勝利( フランチェスコ・サルヴィアーティ )
    フーリオ・カミッロの勝利(The Trionfo di Furio Camillo  フランチェスコ・サルヴィアーティ 1510-1563)

    フーリオ・カミッロ(マルクス・フリウス・カミッルス ラテン語。 紀元前446年 - 紀元前365年)は、共和政ローマの軍人・政治家。独裁官に5回推薦された。ロムルスに次ぐローマ第二の創建者と謳われる。
    紀元前396年、カミッルスはローマ軍を率いてローマから程近いウェイイというエトルリア人の町を攻略した。ローマ市民たちはローマよりも都市設備の整ったウェイイに首都を遷そうと言ったが、カミッルスは「ローマを捨てることはローマの神々を捨てることであり、ローマを離れれば我々はローマ市民ではなくなる」と言って真っ向からこれに反対した。そこで市民たちはカミッルスにあらぬ罪状をかけて追放しようとした。
    これを知ったカミッルスは友人たちに相談したが、友人たちは「君に課せられる罰金を集める手伝いは出来そうだが、追放に反対する票を集めることは出来そうにない」と言った。カミッルスは指揮官としては非常に有能であったが、強引で物事をはっきり言う男であった。ウェイイ攻略戦の際にはローマの有権者たちからなる軍団にローマ軍初と言われる冬営を強いており、ウェイイ攻略戦による凱旋式は派手に行いすぎ、別の戦役では兵士たちが略奪をしたがっている時に無血開城させてしまうなど、市民からの人気が非常に低かったのである。当時、自らローマを去った人間に対しては、その罪を問わないとする風習があったので、カミッルスはローマを去った。
    しかし紀元前387年、カミッルスがローマを去ってすぐに、ローマはブレンヌスに率いられたケルト人(ガリア人のセノネス族)の襲来をうけて滅亡寸前に追い込まれる(アッリアの戦い)。ローマ市民たちはこれを神の怒りであると考え、カミッルスの言った通りになったことを後悔した。カミッルスはケルト襲来を受けて散り散りになったローマ市民を取りまとめローマに向かって進軍する。 そのころローマの一角に立てこもった市民たちはケルト人の王に身代金と引き換えに兵を撤退させるように交渉をしていた。ケルト人は秤に細工してより儲けようと図ったが、それに気がついたローマ人がそれを指摘すると「敗者に災いあれ。」と答えた。そこに駆けつけたカミッルスは「ローマは金ではなく、剣でお返しする」と告げて戦闘が開始され、ケルト人を散々に打ち破った。
    この時のカミッルスの言葉はその後ローマの国防の指針となり、以後ドミティアヌス帝の時代に至るまでの約400年間、ローマが身代金と引き換えに捕虜の解放を要求した例はない。その後カミッルスは独裁官に任命されてローマ復興を任された。
    ローマがケルト人の襲来を受けて荒廃すると、ローマを中心とするラテン同盟の結束にもひびが入り、各地でローマに叛旗を翻す部族・都市国家が続出したが、カミッルスは20年かけて周囲の反乱を全て鎮定し、4度もの凱旋式を挙げる名誉をうけた。


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    ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ

     ジオ・ポンティ原作 

    建築家としても知られた アート・ディレクターの ジオ・ポンティ氏は リチャードジノリの中興の祖としても有名 


    お店で トリフォンフォイタリアーノを 見たお客さんが 言われます。

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    RG アマデウストリオンフォ 9c脚付 6602 (2)
    この金色の手を見ると まさにさもありなん。

    両シチリア王国フェルディナンド1世は女性の手、特に手袋をした手を偏愛しており、マリア・カロリーナは何か頼みごとがある時は長手袋の手をすっと彼に差し出していた。フェルディナンドはうっとりとし、何でも妃の願い事を聞いたという。


    雄雄しく 歴史に名を連ねた 覇者達 彼らが 歴史の頂点を 極めた時 王者に相応しい 王者の尊厳に そむかぬものを求めて 白い黄金にたどり着く。


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    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


    ジノリ カポデモンテ ナポリ窯 の真贋について
    スペイン・ブルボン家のカルロス王子・パルマ公(1716年 - 1788年)は ポーランド継承戦争(1733年 - 1735年)が起こると、フランス王ルイ15世の支援を受け、兵を集めて1734年、オーストリア領シチリアとナポリを占領した。南イタリアは 13世紀から代々スペイン領であったが、先のスペイン継承戦争(1701年 - 1713年)でオーストリアに 奪われた土地であった。1735年 ナポリ王、シチリア王(在位:1735年 - 1759年)に即位してカルロ7世およびカルロ5世となる。当時、ナポリとシチリアは 別々の王国として扱われたが、実質的にはこの時 両シチリア王国が成立したといえる。1738年、ザクセン選帝侯兼ポーランド王アウグスト3世の長女マリア・アマリア・フォン・ザクセン(神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の孫でもある)と結婚した。彼女は王に愛され 生涯にわたり13人の子をなすのですが 初めの40,42年の2人の娘は 喜びも束の間に夭折します。1743年 3人目の娘が無事に生まれ 喜びの中 マリア・アマリアは 磁器王女(マイセン創窯のアウグスト強襲王・ポーランド王の孫娘)に相応しいカポディモンテ窯を創設させました。(蝶よ花よと育てられたこの姫も6歳にしてなくなるのですが 前年には後継ぎのカルロス4世を儲けております。更に前年の長男フェリペは 病により継承辞退。)
    1759年、カルロスは 異母兄フェルナンド6世の死去によりスペイン王即位の為、スペインに帰国し カルロス3世に就く。カルロス3世は、ブルボン朝のスペイン王(在位:1759年 - 1788年)スペインの啓蒙専制君主と言われる。帰国に際し、カポディモンテ窯はモールドは 勿論 職人も含めて、総てを スペインのBuen Retiro (1808年まで生産が続けられた。)に譲渡されました。両シチリア王国の王位は 8歳の三男フェルナンド(フェルディナンド1世)に譲られた。


    1771年 王妃マリア・カロリーナ ナポリ窯創設の根拠。
    フェルディナンド1世(1751年 - 1825年)は、両シチリア王国の最初の王(在位:1815年 - 1825年)。シチリア王としてはフェルディナンド3世(在位:1759年 - 1815年)、ナポリ王としてはフェルディナンド4世(在位:1759年 - 1806年、1815年)を名乗っていた。
    スペイン王カルロス3世とマリア・アマリア・フォン・ザクセンの三男、カルロス4世の弟。妻は神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの娘でフランス王妃マリー・アントワネットの姉であるマリア・カロリーナである。
    マリア・カロリーナ
    当初はフランス王ルイ16世との縁組みが考えられていたが、ナポリ王と婚約していたすぐ上の姉マリア・ヨーゼファが1767年、結婚直前に急死したため、翌1768年に急遽マリア・カロリーナがナポリのフェルディナンド4世へ嫁ぐことになった。突然の結婚に、同じ部屋で暮らし非常に親しかった妹マリア・アントーニア(マリー・アントワネット)は大変悲しんだという。
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    フェルディナンド1世は アウグスト強襲王(強精と強力は 夙に有名で 両手で 馬の蹄鉄をへし折って 驚く人にご満悦)血筋ゆえか 体力に恵まれ性格も非常に善良であったが、王族としての正式な教育を受けておらず、若い頃から重要な書類には家臣に自分のサインのスタンプを押させ、自らは狩りやスポーツに明け暮れた。性格が正反対と言ってもいいマリア・カロリーナ妃が嫁ぐとすぐに妃に夢中になった。妃からは教養の無さや行儀作法の悪さを「かわいいおばかさん」と呼ばれていた。しかし夫婦仲は良好であり、子に恵まれ家庭生活は幸せなものであった。結婚時の約束の一つに、妃が王子を産めば摂政になれるという約束があり、王子誕生後は政治的実権は完全にマリア・カロリーナが握っており、フェルディナンドは狩りや社交に徹していた。
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    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
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    ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
     ジオ・ポンティ原作 
     建築家としても知られた アート・ディレクターの 
    ジオ・ポンティ氏は リチャードジノリの中興の祖としても有名 

    お店で トリフォンフォイタリアーノを 見たお客さんが 言われます。
     美しいですね。

     私は お答えします。
    コレはよく お部屋の飾りとして 買われます。
    ジノリ 中興の祖 ジオ・ポンティ:原型・原画の 美術品です。それにしても 巨匠による この逸品を 美しいといわれる 貴方のお眼は 時空を超えて 巨匠のお眼眼と 一体です。

     

  • リチャードジノリ・アマデウス・トリオンフォ・イタリアーノ トロフィー φ15cmX H17.5cm 30%Off
    リチャードジノリ・アマデウス・トリオンフォ・イタリアーノ トロフィー φ15cmX H17.5cm 30%Off
    71,820円
    本体価格: ¥95.000


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    トリオンフォ 勝利
    ルネサンス期の演劇を語る場合のもう一つの重要な点は,宮廷で支配者の権力を誇示するための大規模な祝祭が行われたことである。イタリアではトリオンフォと呼ばれる祝祭行列が,例えば1477年フィレンツェ,90年ミラノや ヴェネツィア・サンマルコ広場での守護聖人聖十字架の行列などで行われているが,そこでは神々の壮麗な衣装や,天体の機械仕掛け,想像上の動物などが現れ,本物の動物も使われている。イギリスの宮廷ではインタールードと呼ばれる滑稽な幕間劇や仮面劇も行われた。
    <a href="http://blog-imgs-90.fc2.com/e/i/n/einsshop/20160318122157ab1.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-90.fc2.com/e/i/n/einsshop/20160318122157ab1.jpg" alt="サン・マルコ広場での聖十字架の行列 1496 アカデミア美術館(ヴェネツィア)" border="0" width="500" height="247" /></a> ここをクリックすると 写真がでます。
    サン・マルコ広場での聖十字架の行列 1496 アカデミア美術館 ジェンティーレ・ベッリーニ画


    《マルコ》の名は非常な幸運を意味し、それはローマ時代のパレスティナのヘブライ民族でもそうであった。聖ペテロと聖パウロの弟子であり代弁者であったマルコは、4人の福音史家の一人である。伝説によれば、彼はエジプトのアレクサンドリアで殉教したという。彼の骨は828年、2人のヴェネツィア商人が盗んで、食料品を一杯に積み込んだ大きな籠の下に隠して、持ち去った。こうして聖人の遺体はヴェネツィアに到着し、聖マルコは町の守護神となり、世界で最も美しい教会の一つ、サン・マルコ寺院に保管されている。


    アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。


    アマデウスシェープ アール・デコ様式

    ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
     ジオ・ポンティ原作 
    建築家としても知られた アート・ディレクターの 
    ジオ・ポンティ氏は リチャードジノリの中興の祖としても有名 


    お店で トリフォンフォイタリアーノを 見たお客さんが 言われます。
     美しいですね。


     私は お答えします。
    コレは ドッチアミュージアムと アインでしか見られません。
    ジノリ 中興の祖 ジオ・ポンティ造型・原画の 美術品です。それにしても 巨匠による この逸品を 美しいといわれる 貴方のお眼は 時空を超えて 巨匠のお眼眼と 一体です。      


    類稀な 美貌と知性の女性は 鄙に生まれながら 自らの運命に従い 皇帝の妃に。
    生まれながら 王家の姫は 運命られし縁に 時の王妃へと。


    <a href="http://einsshop.blog43.fc2.com/blog-entry-10490.html" target="_blank" title="「悠久の歴史の中に埋もれし 英雄・姫妃との出会い」コチラをクリック">「悠久の歴史の中に埋もれし 英雄・姫妃との出会い」コチラをクリック</a> してください。


    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


    ジノリ カポデモンテ ナポリ窯 の真贋について
    スペイン・ブルボン家のカルロス王子・パルマ公(1716年 - 1788年)は ポーランド継承戦争(1733年 - 1735年)が起こると、フランス王ルイ15世の支援を受け、兵を集めて1734年、オーストリア領シチリアとナポリを占領した。南イタリアは 13世紀から代々スペイン領であったが、先のスペイン継承戦争(1701年 - 1713年)でオーストリアに 奪われた土地であった。1735年 ナポリ王、シチリア王(在位:1735年 - 1759年)に即位してカルロ7世およびカルロ5世となる。当時、ナポリとシチリアは 別々の王国として扱われたが、実質的にはこの時 両シチリア王国が成立したといえる。1738年、ザクセン選帝侯兼ポーランド王アウグスト3世の長女マリア・アマリア・フォン・ザクセン(神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の孫でもある)と結婚した。彼女は王に愛され 生涯にわたり13人の子をなすのですが 初めの40,42年の2人の娘は 喜びも束の間に夭折します。1743年 3人目の娘が無事に生まれ 喜びの中 マリア・アマリアは 磁器王女(マイセン創窯のアウグスト強襲王・ポーランド王の孫娘)に相応しいカポディモンテ窯を創設させました。(蝶よ花よと育てられたこの姫も6歳にしてなくなるのですが 前年には後継ぎのカルロス4世を儲けております。更に前年の長男フェリペは 病により継承辞退。)
    1759年、カルロスは 異母兄フェルナンド6世の死去によりスペイン王即位の為、スペインに帰国し カルロス3世に就く。カルロス3世は、ブルボン朝のスペイン王(在位:1759年 - 1788年)スペインの啓蒙専制君主と言われる。帰国に際し、カポディモンテ窯はモールドは 勿論 職人も含めて、総てを スペインのBuen Retiro (1808年まで生産が続けられた。)に譲渡されました。両シチリア王国の王位は 8歳の三男フェルナンド(フェルディナンド1世)に譲られた。


    1771年 王妃マリア・カロリーナ ナポリ窯創設の根拠。
    フェルディナンド1世(1751年 - 1825年)は、両シチリア王国の最初の王(在位:1815年 - 1825年)。シチリア王としてはフェルディナンド3世(在位:1759年 - 1815年)、ナポリ王としてはフェルディナンド4世(在位:1759年 - 1806年、1815年)を名乗っていた。
    スペイン王カルロス3世とマリア・アマリア・フォン・ザクセンの三男、カルロス4世の弟。妻は神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの娘でフランス王妃マリー・アントワネットの姉であるマリア・カロリーナである。
    マリア・カロリーナ
    当初はフランス王ルイ16世との縁組みが考えられていたが、ナポリ王と婚約していたすぐ上の姉マリア・ヨーゼファが1767年、結婚直前に急死したため、翌1768年に急遽マリア・カロリーナがナポリのフェルディナンド4世へ嫁ぐことになった。突然の結婚に、同じ部屋で暮らし非常に親しかった妹マリア・アントーニア(マリー・アントワネット)は大変悲しんだという。
    婚前の約束から、政治に興味を持たなかった夫フェルディナンドに代わって政治の実権を握った。長きにわたって続いたスペインの政治的干渉からナポリ王国を解放し、前国王時代から政治を牛耳っていたベルナルド・タヌッチを追放、兄レオポルト2世にならい士官学校を作り、軍隊の再編をしている。また、多くの子にも恵まれ、母マリア・テレジアに最も似た人生を送った。軽率なマリー・アントワネットではなくマリア・カロリーナが当初の予定通りフランス王妃となっていたら、歴史は大きく異なっていたと言われている。
    フェルディナンド1世は アウグスト強襲王(強精と強力は 夙に有名で 両手で 馬の蹄鉄をへし折って 驚く人にご満悦)血筋ゆえか 体力に恵まれ性格も非常に善良であったが、王族としての正式な教育を受けておらず、若い頃から重要な書類には家臣に自分のサインのスタンプを押させ、自らは狩りやスポーツに明け暮れた。性格が正反対と言ってもいいマリア・カロリーナ妃が嫁ぐとすぐに妃に夢中になった。妃からは教養の無さや行儀作法の悪さを「かわいいおばかさん」と呼ばれていた。しかし夫婦仲は良好であり、子に恵まれ家庭生活は幸せなものであった。結婚時の約束の一つに、妃が王子を産めば摂政になれるという約束があり、王子誕生後は政治的実権は完全にマリア・カロリーナが握っており、フェルディナンドは狩りや社交に徹していた。
    フェルディナンド1世は女性の手、特に手袋をした手を偏愛しており、マリア・カロリーナは何か頼みごとがある時は長手袋の手をすっと彼に差し出していた。フェルディナンドはうっとりとし、何でも妃の願い事を聞いたという。
    庶民の食べ物であった細打ちのパスタ(いわゆるスパゲティ)を気に入り、宮廷で供するよう命じたが、当時スパゲティは手づかみで食べるものであり、マリア・カロリーナから下品であると反対された。このことからパスタを食べるための道具としてフォークが採用されたという。1820年のカルボナリによって引き起こされたナポリ革命後は妃の故里ウィーンに亡命。晩年はアブルッツォやリエーティで暮らし、ナポリで亡くなった。


    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。


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