アウガルテン

輸入洋食器店アイン お宝倉庫
大阪市にある洋食器、輸入食器専門店のアイン
ウェッジウッド、マイセン、バカラ、ロイヤルコペンハーゲンなど
様々な食器を販売しております
  • アウガルテン・ウィンナーローズ コーヒーポット 750cc・シューベルト型 30%Off
    アウガルテン・ウィンナーローズ  コーヒーポット 750cc・シューベルト型 30%Off
    68,040円

    本体価格: ¥90.000

    今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 
    表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産の マリアテレジアのスクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1924年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。


  • アウガルテン・ウィンナーローズ コーヒーポット 1.15L・シューベルト型 30%Off
    アウガルテン・ウィンナーローズ  コーヒーポット 1.15L・シューベルト型 30%Off
    64,260円

    本体価格: ¥85.000

  • アウガルテン・ウィンナーローズ クリーマー・シューベルト型 30%Off
    アウガルテン・ウィンナーローズ クリーマー・シューベルト型 30%Off
    20,412円

    本体価格: ¥27.000

    今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 
    表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産の マリアテレジアのスクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1924年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。

  • アウガルテン・ウィンナーローズ シュガー・シューベルト型 300cc 30%Off
    アウガルテン・ウィンナーローズ  シュガー・シューベルト型 300cc 30%Off
    39,312円

    本体価格: ¥52.000

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    今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産の マリアテレジアのスクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1924年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。

    ハプスブルク王家の マリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯
    (1717 デュ・パキエ創窯,1744年 マリアテレジア帝立,1864年 廃窯)を オーストリア政府の肝いりで 1923年(文献によると 22年説,23年説,24年説と 創窯年に異説がありますが アウガルテン社に敬意を表して 23年説に改めます。) 創窯・継承したアウガルテン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮。バックロゴも ハプスブルグ王家の 盾形紋章とWienを 許されております。 モールドの継承が 無いとはいえ 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう。)  ウィーン窯は 当時のマイセンを手本とすれば 厚手にならざるを得なかったのでしょうが 磁器の研究が進んだ手工芸品時代には 透き通るような モスリン胎 卵殻胎が 行われておりました。1923年創窯のアウガルテンは ウィーン窯の美しい絵柄や 機能性重視の奇を衒わない精神は継承しても 白磁本来の透明な美しさが 知られておる近代創窯として その点だけは 譲れなかったのでしょう。 実際 その白さは 手工芸品時代に近く マイセンの乳白色とは また一味違った美しさです。)

    マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンに代わり セーヴルと並んで  時代をリードするほどになりました。1761年 ハンガリーのシュメルニッツで 良質のカオリンが 発掘され 白磁に磨きがかかり 窯印も 粗野な刻印から 高貴な染付となり 美術的名声(第1黄金期)を博していきました。しかし どの窯もそうであったように 飽くなき名声の追求は 莫大な資金を飲み込み 窯の存亡の危機を招きます。1784年 マリアテレジアの息子 フランツ・ヨーゼフ二世皇帝は 帝国の陰りの前に 体面をかなぐり捨て 遂に ウィーン窯を 競売にかけました。しかし 応札は誰も無く やむなく ゾルゲンタール男爵を 経営改革の任に 付けました。彼は ロココから ネオクラシックの流れに 強いウィーンスタイルを主張した 他の追随を 許さぬ美術磁器を 生み出していきました。絶頂の ウィーン窯・第2黄金期は1804年 フランス皇帝に即位した ナポレオンにより 貶められていきました。神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し オーストリア世襲皇帝となり オーストリアを守ることに手一杯になりました。最後の光芒を放ったビーダーマイヤー(市民革命)様式に見せた ウィーン窯の威厳も 所詮は 徒花となり 1864年 120年の栄光の末 廃窯することになりました。モールドは1部がヘレンドや ウィーンノイシュタット窯や やがて ワーリスなどに流れて行くのですが ハブスブルグ家ほどの資金も情熱もなく 栄光は引き継がれず 贋作のみ 盛んになりました。

    日本でのみ横行する 如何わしい 1718年 アウガルテン開窯説は 栄光のウィーン窯の開窯年(1717年説も)であり それを拝借するのは 羊頭狗肉(看板は高級な羊肉を掲げ 売っているのは安物の犬肉) 挙句 贔屓の引き倒し 素晴らしいアウガルテンを 貶めるものです。

    余談ですが アウガルテン城は ウィーン少年合唱団の 寄宿舎になっていることでも有名です。

  • アウガルテン・ウィンナーローズ シュガーボンボン ・シューベルト型 500cc 40%Off
    アウガルテン・ウィンナーローズ シュガーボンボン ・シューベルト型 500cc 40%Off
    51,840円
    本体価格: ¥80.000

    今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 
    表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産の マリアテレジアのスクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1924年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。

    秘法漏洩-1
    それから1年 酔ったベトガーから 秘法を聞きだしたという 自称アルカニスト(秘法師)フンガーは  結局 磁器の焼成を 成し遂げられませんでした。パキエは 又 マイセンに 色々手を回し 遂に ベトガーの一番弟子 シュテルツェルに 辿り着きました。 1719年 死の床にあったベトガーは 10年の苦労を共にした弟子の離反を 知る由も無く かえって悩み 悲しむ事もありませんでした。パキエの窯に移ったシュテルツェルは さすがに経験を積んでおり すぐに 問題が磁土に有ると見抜きました。そこで ベトガーが 文字どうり 身を焦がす
    実験の成果で得た 磁土を使えば 成功は手っ取り早いと,かつて知ったる マイセンの弱点を突き 磁土を獲得しました。シュテルツェルは この磁土の届くのを待つ間に 窯もベトガーの 開発したものに替えました。当然 パキエは ヨーロッパで2番目に マイセン磁器を 手に入れる事ができました。

  • アウガルテン・ウィンナーローズ ティーポット・シューベルト型 1.2L 30%Off
    アウガルテン・ウィンナーローズ  ティーポット・シューベルト型 1.2L 30%Off
    67,284円
    本体価格: ¥89.000

    今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 
    表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産の マリアテレジアのスクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1924年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。

    秘法漏洩-1
    それから1年 酔ったベトガーから 秘法を聞きだしたという 自称アルカニスト(秘法師)フンガーは  結局 磁器の焼成を 成し遂げられませんでした。パキエは 又 マイセンに 色々手を回し 遂に ベトガーの一番弟子 シュテルツェルに 辿り着きました。 1719年 死の床にあったベトガーは 10年の苦労を共にした弟子の離反を 知る由も無く かえって悩み 悲しむ事もありませんでした。パキエの窯に移ったシュテルツェルは さすがに経験を積んでおり すぐに 問題が磁土に有ると見抜きました。そこで ベトガーが 文字どうり 身を焦がす 実験の成果で得た 磁土を使えば 成功は手っ取り早いと,かつて知ったる マイセンの弱点を突き 磁土を獲得しました。シュテルツェルは この磁土の届くのを待つ間に 窯もベトガーの 開発したものに替えました。当然 パキエは ヨーロッパで2番目に マイセン磁器を 手に入れる事ができました。

  • アウガルテン・ウィンナーローズ  ティーポット・シューベルト型 600cc 25%Off
    アウガルテン・ウィンナーローズ  ティーポット・シューベルト型 600cc 25%Off
    54,270円
    本体価格: ¥67.000

    ユーロなき オーストリアシリング時代に仕込んだ お熟成品が売り切れました。 今仕込むと 25%Offしかできません。

    3台入荷しましたが 早や 残り1台になっております

    今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 
    表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産の マリアテレジアのスクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1924年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。

    ハプスブルク王家の マリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯(1717 デュ・パキエ創窯,1744 マリアテレジア帝立,1864 閉窯)を 1924 創窯・継承したアウガルテン・ウィーン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮 バックロゴも ハプスブルグ王家の盾形紋章 モールドの継承が無いとはいえ 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう)

    秘法漏洩-1
    それから1年 酔ったベトガーから 秘法を聞きだしたという 自称アルカニスト(秘法師)フンガーは  結局 磁器の焼成を 成し遂げられませんでした。パキエは 又 マイセンに 色々手を回し 遂に ベトガーの一番弟子 シュテルツェルに 辿り着きました。 1719年 死の床にあったベトガーは 10年の苦労を共にした弟子の離反を 知る由も無く かえって悩み 悲しむ事もありませんでした。パキエの窯に移ったシュテルツェルは さすがに経験を積んでおり すぐに 問題が磁土に有ると見抜きました。そこで ベトガーが 文字どうり 身を焦がす実験の成果で得た 磁土を使えば 成功は手っ取り早いと,かつて知ったる マイセンの弱点を突き 磁土を獲得しました。シュテルツェルは この磁土の届くのを待つ間に 窯もベトガーの 開発したものに替えました。当然 パキエは ヨーロッパで2番目に マイセン磁器を 手に入れる事ができました。
  • アウガルテン・ウィンナーローズ 36cmデジュネトレイ 30%Off
    アウガルテン・ウィンナーローズ 36cmデジュネトレイ 30%Off
    92,988円

    本体価格: ¥123.000

    メッテルニヒシェープ

    今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 
    表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産の マリアテレジアのスクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1924年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。

    ハプスブルク王家の マリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯(1717 デュ・パキエ創窯,1744 マリアテレジア帝立,1864 閉窯)を 1924 創窯・継承したアウガルテン・ウィーン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮 バックロゴも ハプスブルグ王家の盾形紋章 モールドの継承が無いとはいえ 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう)

    秘法漏洩-1
    それから1年 酔ったベトガーから 秘法を聞きだしたという 自称アルカニスト(秘法師)フンガーは  結局 磁器の焼成を 成し遂げられませんでした。パキエは 又 マイセンに 色々手を回し 遂に ベトガーの一番弟子 シュテルツェルに 辿り着きました。 1719年 死の床にあったベトガーは 10年の苦労を共にした弟子の離反を 知る由も無く かえって悩み 悲しむ事もありませんでした。パキエの窯に移ったシュテルツェルは さすがに経験を積んでおり すぐに 問題が磁土に有ると見抜きました。そこで ベトガーが 文字どうり 身を焦がす実験の成果で得た 磁土を使えば 成功は手っ取り早いと,かつて知ったる マイセンの弱点を突き 磁土を獲得しました。シュテルツェルは この磁土の届くのを待つ間に 窯もベトガーの 開発したものに替えました。当然 パキエは ヨーロッパで2番目に マイセン磁器を 手に入れる事ができました。

  • アウガルテン・ウィンナーローズ 24cmスーププレート・シューベルト型 30%Off
    アウガルテン・ウィンナーローズ 24cmスーププレート・シューベルト型 30%Off
    40,068円

    本体価格 ¥53.000

    今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産の マリアテレジアのスクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1923年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。

    ハプスブルク王家の マリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯(1717 デュ・パキエ創窯,1744年 マリアテレジア帝立,1864 閉窯)を オーストア政府の肝いりで1923年 創窯・継承したアウガルテン・ウィーン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮。バックロゴも ハプスブルグ王家の 盾形紋章とWienを 許されております。 モールドの継承が 無いとはいえ 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう。) ウィーン窯は 当時のマイセンを手本とすれば 厚手に ならざるを得なかったのでしょうが 磁器の研究が進んだ手工芸品時代には 透き通るような モスリン胎 卵殻胎が 行われておりました。1923年創窯のアウガルテンは ウィーン窯の美しい絵柄や 機能性重視の奇を衒わない精神は継承しても 白磁本来の透明な美しさが 知られておる 近代創窯として その点だけは 譲れなかったのでしょう。 実際 その白さは 手工芸品時代に近く マイセンの乳白色とは また一味違った美しさです。 

    マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンに代わり セーヴルと並んで  時代をリードするほどになりました。1761年 ハンガリーのシュメルニッツで 良質のカオリンが 発掘され 白磁に磨きがかかり 窯印も 粗野な刻印から 高貴な染付となり 美術的名声(第1黄金期)を博していきました。しかし どの窯もそうであったように 飽くなき名声の追求は 莫大な資金を飲み込み 窯の存亡の危機を招きます。1784年 マリアテレジアの息子 フランツ・ヨーゼフ二世皇帝は 帝国の陰りの前に 体面をかなぐり捨て 遂に ウィーン窯を 競売にかけました。しかし 応札は誰も無く やむなく ゾルゲンタール男爵を 経営改革の任に 付けました。彼は ロココから ネオクラシックの流れに 強いウィーンスタイルを主張した 他の追随を 許さぬ美術磁器を 生み出していきました。絶頂の ウィーン窯・第2黄金期は1804年 フランス皇帝に即位した ナポレオンにより 貶められていきました。神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し オーストリア世襲皇帝となり オーストリアを守ることに手一杯になりました。最後の光芒を放ったビーダーマイヤー(市民革命)様式に見せた ウィーン窯の威厳も 所詮は 徒花となり 1864年 120年の栄光の末 廃窯することになりました。モールドは1部がヘレンドや ウィーンノイシュタット窯や やがて ワーリスなどに流れて行くのですが ハブスブルグ家ほどの資金も情熱もなく 栄光は引き継がれず 贋作のみ 盛んになりました。

    日本でのみ横行する 如何わしい 1718年 アウガルテン開窯説は 栄光のウィーン窯の開窯年(1717年説も)であり それを拝借するのは 羊頭狗肉(看板は高級な羊肉を掲げ 売っているのは安物の犬肉) 挙句 贔屓の引き倒し 素晴らしいアウガルテンを 貶めるものです。

    余談ですが アウガルテン城は ウィーン少年合唱団の 寄宿舎になっていることでも有名です。

    「欧州磁器戦争史 (ウィーン窯) アウガルテン 秘法漏洩 1,2,3,」 ブログに掲載
    「ウィーン窯・第2黄金期に ナポレオンの毒牙 遂に終焉に」 
    「1864年 ウィーン窯 閉窯後の 正統性の証 モールドの行方」 加筆しました。


  • アウガルテン・ウィンナーローズ 29cmプレート・シューベルト型 30%Off
    アウガルテン・ウィンナーローズ 29cmプレート・シューベルト型 30%Off
    47,628円
    本体価格: ¥63.000

    今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産の マリアテレジアのスクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1923年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。

    ハプスブルク王家の マリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯(1717 デュ・パキエ創窯,1744年 マリアテレジア帝立,1864 閉窯)を オーストア政府の肝いりで1923年 創窯・継承したアウガルテン・ウィーン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮。バックロゴも ハプスブルグ王家の 盾形紋章とWienを 許されております。 モールドの継承が 無いとはいえ 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう。) ウィーン窯は 当時のマイセンを手本とすれば 厚手に ならざるを得なかったのでしょうが 磁器の研究が進んだ手工芸品時代には 透き通るような モスリン胎 卵殻胎が 行われておりました。1923年創窯のアウガルテンは ウィーン窯の美しい絵柄や 機能性重視の奇を衒わない精神は継承しても 白磁本来の透明な美しさが 知られておる 近代創窯として その点だけは 譲れなかったのでしょう。 実際 その白さは 手工芸品時代に近く マイセンの乳白色とは また一味違った美しさです。 

    マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンに代わり セーヴルと並んで  時代をリードするほどになりました。1761年 ハンガリーのシュメルニッツで 良質のカオリンが 発掘され 白磁に磨きがかかり 窯印も 粗野な刻印から 高貴な染付となり 美術的名声(第1黄金期)を博していきました。しかし どの窯もそうであったように 飽くなき名声の追求は 莫大な資金を飲み込み 窯の存亡の危機を招きます。1784年 マリアテレジアの息子 フランツ・ヨーゼフ二世皇帝は 帝国の陰りの前に 体面をかなぐり捨て 遂に ウィーン窯を 競売にかけました。しかし 応札は誰も無く やむなく ゾルゲンタール男爵を 経営改革の任に 付けました。彼は ロココから ネオクラシックの流れに 強いウィーンスタイルを主張した 他の追随を 許さぬ美術磁器を 生み出していきました。絶頂の ウィーン窯・第2黄金期は1804年 フランス皇帝に即位した ナポレオンにより 貶められていきました。神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し オーストリア世襲皇帝となり オーストリアを守ることに手一杯になりました。最後の光芒を放ったビーダーマイヤー(市民革命)様式に見せた ウィーン窯の威厳も 所詮は 徒花となり 1864年 120年の栄光の末 廃窯することになりました。モールドは1部がヘレンドや ウィーンノイシュタット窯や やがて ワーリスなどに流れて行くのですが ハブスブルグ家ほどの資金も情熱もなく 栄光は引き継がれず 贋作のみ 盛んになりました。

    日本でのみ横行する 如何わしい 1718年 アウガルテン開窯説は 栄光のウィーン窯の開窯年(1717年説も)であり それを拝借するのは 羊頭狗肉(看板は高級な羊肉を掲げ 売っているのは安物の犬肉) 挙句 贔屓の引き倒し 素晴らしいアウガルテンを 貶めるものです。

    余談ですが アウガルテン城は ウィーン少年合唱団の 寄宿舎になっていることでも有名です。

    「欧州磁器戦争史 (ウィーン窯) アウガルテン 秘法漏洩 1,2,3,」 ブログに掲載
    「ウィーン窯・第2黄金期に ナポレオンの毒牙 遂に終焉に」 
    「1864年 ウィーン窯 閉窯後の 正統性の証 モールドの行方」 加筆しました。

  • アウガルテン・ウィンナーローズ 25cmプレート・モーツアルト型 30%Off
    アウガルテン・ウィンナーローズ 25cmプレート・モーツアルト型 30%Off
    37,800円

    本体価格: ¥50.000

    今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 
    表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産の マリアテレジアのスクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1923年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。

    ハプスブルク王家の マリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯(1717 デュ・パキエ創窯,1744年 マリアテレジア帝立,1864 閉窯)を オーストア政府の肝いりで1923年 創窯・継承したアウガルテン・ウィーン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮。バックロゴも ハプスブルグ王家の 盾形紋章とWienを 許されております。 モールドの継承が 無いとはいえ 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう。) ウィーン窯は 当時のマイセンを手本とすれば 厚手に ならざるを得なかったのでしょうが 磁器の研究が進んだ手工芸品時代には 透き通るような モスリン胎 卵殻胎が 行われておりました。1923年創窯のアウガルテンは ウィーン窯の美しい絵柄や 機能性重視の奇を衒わない精神は継承しても 白磁本来の透明な美しさが 知られておる 近代創窯として その点だけは 譲れなかったのでしょう。 実際 その白さは 手工芸品時代に近く マイセンの乳白色とは また一味違った美しさです。 

    マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンを凌駕し 時代を リードするほどになりました。ウィーン窯・第1黄金期

    1784年 マリアテレジアの息子 フランツ・ヨーゼフ二世皇帝はゾルゲンタール男爵を 経営改革の任に 付けました。彼は ロココから ネオクラシックの流れに 強いウィーンスタイルを主張した 他の追随を 許さぬ美術磁器を 生み出していきました。絶頂の ウィーン窯・第2黄金期は1804年 フランス皇帝に即位した ナポレオンにより 貶められていきました。神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し オーストリア世襲皇帝となり オーストリアを守ることに手一杯になりました。

    秘法漏洩-1
    それから1年 酔ったベトガーから 秘法を聞きだしたという 自称アルカニスト(秘法師)フンガーは  結局 磁器の焼成を 成し遂げられませんでした。パキエは 又 マイセンに 色々手を回し 遂に ベトガーの一番弟子 シュテルツェルに 辿り着きました。 1719年 死の床にあったベトガーは 10年の苦労を共にした弟子の離反を 知る由も無く かえって悩み 悲しむ事もありませんでした。パキエの窯に移ったシュテルツェルは さすがに経験を積んでおり すぐに 問題が磁土に有ると見抜きました。そこで ベトガーが 文字どうり 身を焦がす実験の成果で得た 磁土を使えば 成功は手っ取り早いと,かつて知ったる マイセンの弱点を突き 磁土を獲得しました。シュテルツェルは この磁土の届くのを待つ間に 窯もベトガーの 開発したものに替えました。当然 パキエは ヨーロッパで2番目に マイセン磁器を 手に入れる事ができました。

  • アウガルテン・ウィンナーローズ 25cmプレート・シューベルト型 30%Off
    アウガルテン・ウィンナーローズ 25cmプレート・シューベルト型 30%Off
    37,800円

    本体価格: ¥50.000

    今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 
    表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産の マリアテレジアのスクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1923年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。

    ハプスブルク王家の マリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯
    (1717 デュ・パキエ創窯,1744年 マリアテレジア帝立,1864年 廃窯)を オーストリア政府の肝いりで 1923年(文献によると 22年説,23年説,24年説と 創窯年に異説がありますが アウガルテン社に敬意を表して 23年説に改めます。) 創窯・継承したアウガルテン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮。バックロゴも ハプスブルグ王家の 盾形紋章を 許されております。 モールドの継承が 無いとはいえ 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう。) ウィーン窯は 当時のマイセンを手本とすれば 厚手にならざるを得なかったのでしょうが 磁器の研究が進んだ手工芸品時代には 透き通るような モスリン胎 卵殻胎が 行われておりました。1923年創窯のアウガルテンは ウィーン窯の美しい絵柄や 機能性重視の奇を衒わない精神は継承しても 白磁本来の透明な美しさが 知られておる近代創窯として その点だけは 譲れなかったのでしょう。 実際 その白さは 手工芸品時代に近く マイセンの乳白色とは また一味違った美しさです。

    マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンに代わり セーヴルと並んで  時代をリードするほどになりました。1761年 ハンガリーのシュメルニッツで 良質のカオリンが 発掘され 白磁に磨きがかかり 窯印も 粗野な刻印から 高貴な染付となり 美術的名声(第1黄金期)を博していきました。しかし どの窯もそうであったように 飽くなき名声の追求は 莫大な資金を飲み込み 窯の存亡の危機を招きます。1784年 マリアテレジアの息子 フランツ・ヨーゼフ二世皇帝は 帝国の陰りの前に 体面をかなぐり捨て 遂に ウィーン窯を 競売にかけました。しかし 応札は誰も無く やむなく ゾルゲンタール男爵を 経営改革の任に 付けました。彼は ロココから ネオクラシックの流れに 強いウィーンスタイルを主張した 他の追随を 許さぬ美術磁器を 生み出していきました。絶頂の ウィーン窯・第2黄金期

    余談ですが アウガルテン城は ウィーン少年合唱団の 寄宿舎になっていることでも 有名です。

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    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1923年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。


    ハプスブルク王家の マリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯(1717 デュ・パキエ創窯,1744年 マリアテレジア帝立,1864 閉窯)を オーストア政府の肝いりで1923年 創窯・継承したアウガルテン・ウィーン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮。バックロゴも ハプスブルグ王家の 盾形紋章とWienを 許されております。 モールドの継承が 無いとはいえ 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう。) ウィーン窯は 当時のマイセンを手本とすれば 厚手に ならざるを得なかったのでしょうが 磁器の研究が進んだ手工芸品時代には 透き通るような モスリン胎 卵殻胎が 行われておりました。1923年創窯のアウガルテンは ウィーン窯の美しい絵柄や 機能性重視の奇を衒わない精神は継承しても 白磁本来の透明な美しさが 知られておる 近代創窯として その点だけは 譲れなかったのでしょう。 実際 その白さは 手工芸品時代に近く マイセンの乳白色とは また一味違った美しさです。 


    マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンに代わり セーヴルと並んで  時代をリードするほどになりました。1761年 ハンガリーのシュメルニッツで 良質のカオリンが 発掘され 白磁に磨きがかかり 窯印も 粗野な刻印から 高貴な染付となり 美術的名声(第1黄金期)を博していきました。しかし どの窯もそうであったように 飽くなき名声の追求は 莫大な資金を飲み込み 窯の存亡の危機を招きます。1784年 マリアテレジアの息子 フランツ・ヨーゼフ二世皇帝は 帝国の陰りの前に 体面をかなぐり捨て 遂に ウィーン窯を 競売にかけました。しかし 応札は誰も無く やむなく ゾルゲンタール男爵を 経営改革の任に 付けました。彼は ロココから ネオクラシックの流れに 強いウィーンスタイルを主張した 他の追随を 許さぬ美術磁器を 生み出していきました。絶頂の ウィーン窯・第2黄金期は1804年 フランス皇帝に即位した ナポレオンにより 貶められていきました。神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し オーストリア世襲皇帝となり オーストリアを守ることに手一杯になりました。最後の光芒を放ったビーダーマイヤー(市民革命)様式に見せた ウィーン窯の威厳も 所詮は 徒花となり 1864年 120年の栄光の末 廃窯することになりました。モールドは1部がヘレンドや ウィーンノイシュタット窯や やがて ワーリスなどに流れて行くのですが ハブスブルグ家ほどの資金も情熱もなく 栄光は引き継がれず 贋作のみ 盛んになりました。


    日本でのみ横行する 如何わしい 1718年 アウガルテン開窯説は 栄光のウィーン窯の開窯年(1717年説も)であり それを拝借するのは 羊頭狗肉(看板は高級な羊肉を掲げ 売っているのは安物の犬肉) 挙句 贔屓の引き倒し 素晴らしいアウガルテンを 貶めるものです。


    余談ですが アウガルテン城は ウィーン少年合唱団の 寄宿舎になっていることでも有名です。


    「欧州磁器戦争史 (ウィーン窯) アウガルテン 秘法漏洩 1,2,3,」 ブログに掲載
    「ウィーン窯・第2黄金期に ナポレオンの毒牙 遂に終焉に」 
    「1864年 ウィーン窯 閉窯後の 正統性の証 モールドの行方」 加筆しました。


  • アウガルテン 【ウィーンナーローズ】  コーヒーC/S・シューベルト型  0.2L 25%Off
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    ユーロなき オーストリアシリング時代に仕込んだ お熟成品が売り切れました。 今仕込むと 25%Offしかできません。

      

    アウガルテン・ウィーンが 世界中でどこより安い秘密は 2000年以来 お熟成アインにあります。ピカピカの新品です。

    今を去る 二昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産にいただいた マリアテレジアの スクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。
    AU スクエアプレート (2

    「青春の薔薇」ヘンリエッタ・レイ
    「青春の薔薇」 ヘンリエッタ・レイ
    ヘンリエッタ・エマラトクリフ・レイ (1859年- 1928年) は ヴィクトリア朝 時代の著名な、英国人女性画家。

    花拡大
    ヨーロッパ大陸のバラは ウィーン様式が元祖で 花と茎枝と葉が自然に描かれ ロココに乗り遅れたマイセンでも 同列です。
    島国英国は 連ねたバラの両端に葉を添え花のみの美しさを引き立てるのが主流で 大陸とは1線を画しております。
    20151017120636_00001.jpg

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1923年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。

    マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンに代わり セーヴルと並んで  時代をリードするほどになりました。1761年 ハンガリーのシュメルニッツで 良質のカオリンが 発掘され 白磁に磨きがかかり 窯印も 粗野な刻印から 高貴な染付となり 美術的名声(第1黄金期)を博していきました。しかし どの窯もそうであったように 飽くなき名声の追求は 莫大な資金を飲み込み 窯の存亡の危機を招きます。1784年 マリアテレジアの息子 フランツ・ヨーゼフ二世皇帝は 帝国の陰りの前に 体面をかなぐり捨て 遂に ウィーン窯を 競売にかけました。しかし 応札は誰も無く やむなく ゾルゲンタール男爵を 経営改革の任に 付けました。彼は ロココから ネオクラシックの流れに 強いウィーンスタイルを主張した 他の追随を 許さぬ美術磁器を 生み出していきました。絶頂の ウィーン窯・第2黄金期は1804年 フランス皇帝に即位した ナポレオンにより 貶められていきました。
    『玉座のナポレオン1世』 (アングル画 1806年 軍事博物館蔵)
    『玉座のナポレオン1世』 (アングル画 1806年 軍事博物館蔵)

    ナポレオンの政略に泣いた ナポレオンを本当に愛した女性

    1806年11月にはイギリスへの対抗策として、大陸封鎖令を出したが 産業革命後のイギリスの製品を輸入していた諸国やフランス民衆の不満を買った。ナポレオンは残る強敵ロシアに挑み ここで若く美しいポーランド貴族の夫人マリア・ヴァレフスカを 愛人にした。
    マリア・ヴァレフスカ 
    マリア・ヴァレフスカ(1786年 - 1817年)は、ナポレオン1世の愛人として知られる人物。由緒正しい名門貴族ウォンチニスキ家の4人目の子供として生まれたが 1772年の第一回ポーランド分割でほとんどの領地をプロイセン王国に取られてしまい 生活に困窮するウォンチニスキ家の借金を肩代わりする代わり 16歳にしてポーランドの名門貴族62歳のヴァレフスキ老伯爵の妻になった。不幸な国が招いた不幸な結婚をした彼女は、信仰と愛国心に心の慰めを見出していたようである。やがて彼女に大きな転機が訪れる。1806年12月18日にナポレオンがワルシャワを訪れた。自分で愛人になることを望んだわけではなかったが、次第にマリアはナポレオンを本当に愛するようになっていった。彼女はおだやかで慎ましく、欲がなく純真な性格で、ナポレオンもそれまでの愛人たちとは違う彼女を深く愛するようになった。ナポレオンは彼女を「ポーランドの妻」と呼んだ。しかし、自分とナポレオンとの先行きに何か不安を感じたらしく、「たとえあなたが私を愛さなくなっても、私はあなたを愛していることを忘れないでいて」と彫らせた、金とエナメルでできた指輪を贈った。その指輪には自分の髪の毛も一筋巻きつけていた。マリアの不安は的中し、ナポレオンはジョゼフィーヌと12月に離婚した後、オーストリア皇女マリー・ルイーズと結婚するつもりでいることを知った。マリアは彼の計画の邪魔になってはと、ポーランドに帰った。ナポレオンは自分の野心のためにマリアを捨てたのであった。それでもマリアは 1814年、皇帝を退位したナポレオンが部屋で毒薬自殺を計ったのを見舞うが 自分の姿が人に見られてはと黙って帰っていった。1814年8月31日にはエルバ島のナポレオンに呼ばれ、エルバ島に行ったが、マリー・ルイーズの件があるため、すぐに帰らなければならなかった。
    復位の後1815年、ワーテルローの戦いで敗れたナポレオンと最後の別れをするため、マリアはアレクサンドル(ナポレオンとの息子)を連れてマルメゾン城を訪れた。マリアは1時間ほどナポレオンと過ごした。そして彼女は涙ながら、セント・ヘレナ島に連れて行って欲しいと言った。ナポレオンはセント・ヘレナ島に流されてから、マリアの肖像画を飾っていたという。そしてマリアが贈った指輪は、最後までナポレオンの指にはめられていた。
    マリアは腎機能の悪化と、ナポレオンとの別れによる心痛から、食べものを殆ど食べようとせず、やせ細り、死期が近いことを悟ったマリアは、フランスのブローニュの森にナポレオンを偲んで行った。
    1970年には、マリア・ヴァレフスカは偉大な愛国者の1人として、ポーランドで切手になった。

    軍隊小唄
    腰の軍刀に縋りつき 連れてゆきゃんせ何処までも 連れてゆくのは やすけれど 女は乗せない戦闘機
    女乗せない 戦闘機 みどりの黒髪 裁ち切って 男姿に 身をやつし ついて行きます どこまでも

    神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し オーストリア世襲皇帝となり オーストリアを守ることに手一杯になりました。最後の光芒を放ったビーダーマイヤー(市民革命)様式に見せた ウィーン窯の威厳も 所詮は 徒花となり 1864年 120年の栄光の末 廃窯することになりました。モールドは1部がヘレンドや ウィーンノイシュタット窯や やがて ワーリスなどに流れて行くのですが ハブスブルグ家ほどの資金も情熱もなく 栄光は引き継がれず 贋作のみ 盛んになりました。

    ハプスブルク王家のマリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯(1717年 デュ・パキエ創窯,1744年 マリアテレジア帝立,1864年 廃窯)を オーストリア政府の肝いりで 1923年(文献によると 22年説,23年説,24年説と 創窯年に異説がありますが アウガルテン社に敬意を表して23年説に改めます。) 創窯・継承したアウガルテン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮。バックロゴも ハプスブルグ王家の盾形紋章とWienを 許されております。学術的にはモールドの継承をもって窯の継承でありますが それが 無いとはいえ杓子定規に 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう) ウィーン窯は 当時のマイセンを手本とすれば 厚手にならざるを得なかったのでしょうが 磁器の研究が進んだ手工芸品時代には 透き通るような モスリン胎 卵殻胎が 行われておりました。1923年創窯のアウガルテンは ウィーン窯の美しい絵柄や 機能性重視の奇を衒わない 精神は継承しても 白磁本来の透明な美しさが 知られておる近代創窯として その点だけは 譲れなかったのでしょう。 実際その白さは 手工芸品時代に近く マイセンやウィーン窯の乳白色とは また一味違った美しさです。

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    余談ですが アウガルテン城は ウィーン少年合唱団の 寄宿舎になっていることでも有名です。
     
    「マリア・テレジアと マリー・アントワネット」
    「フランス・ブルボン王朝との第一次ヴェルサイユ条約」
    「マリアテレジアは 女帝であったのか?」      
    「第2黄金期 マリアテレジアの息子ヨーゼフ二世皇帝」 加筆しました。

    「欧州磁器戦争史 (ウィーン窯) 秘法漏洩 1,2,3,」 詳しくは コチラをクリック してください。
    「神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオン」 加筆しました。
    「ウィーン窯・第2黄金期に ナポレオンの毒牙 遂に終焉に」 
    「1864年 ウィーン窯 閉窯後の 正統性の証 モールドの行方」
    「ウィーン窯 廃窯後 60年を経て アウガルテン窯 創窯・継承」 加筆しました。

    当店は 日夜 洋食器の故事来歴を 文献をあさり 蒐集した現物と照らし合わせ 研鑽します。文献には 記したお国 記した窯の 自己顕示欲から 我田引水 荒唐無稽 挙句は 正反対のものまで 乱暴に対立しております。当店は 一所懸命に 混乱を紐解いていきます。洋食器愛好家に 正しく 美を 愛でてほしいからです。作る側の虚偽は 勿論 誇張もいただけません。幸い 当店には 四半世紀にわたり 蒐集してきた 膨大な実物がございます。岡本は 1年364日 この人達?に 語り掛け 問いかけ 来し方を 教わります。実物は 恐いですよ,強いですよ。薄っぺらな 小手先の書の自信のなさは 直ぐに看破します。当店の耐震ビルの 一階は店舗ですが ワンフロア100坪の2階から5階までには当店の気に入ったものから 気には入らないが 永い伝統に生きてきたもの それにはそれなりの支持があったのですから そこは謙虚に敬意を表して 蒐集して来た強い味方
    さんらで溢れております。よく自分は美に造詣が深く 自分にかなわぬものは・・・・・という人には与しません。えてして そういう人は  まったく方向違いの批判をします。当店は 己の眼力を養い 愛好家に 最高のものを選んでいただくのが 責務と考えております。己の眼力に自信がなかったころは マイセンならマイセンに 一目置かれておるヨーロッパ代理店を選りすぐり そこを経由して マイセンに厳選制作してもらっておりました。今や 伝統に頼れない新作でも 創窯者の目でもって その窯の伝統の正当性の判別が できるようになったのではと 自負しております。愛好家諸兄の ご批判 ご反論の ご教導 お待ちしております。ご質問も大歓迎です。 管見ながら 精一杯 返答に努めます。

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    アウガルテン・ウィーンが 世界中でどこより安い秘密は 2000年以来 お熟成アインにあります。ピカピカの新品です。

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    ヨーロッパ大陸のバラは ウィーン様式が元祖で 花と茎枝と葉が自然に描かれ ロココに乗り遅れたマイセンでも 同列です。
    島国英国は 連ねたバラの両端に葉を添え花のみの美しさを引き立てるのが主流で 大陸とは1線を画しております。
    20151017120636_00001.jpg

    このシリーズは  アウガルテン開窯の年 1923年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。

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    『玉座のナポレオン1世』 (アングル画 1806年 軍事博物館蔵)
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    神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し オーストリア世襲皇帝となり オーストリアを守ることに手一杯になりました。最後の光芒を放ったビーダーマイヤー(市民革命)様式に見せた ウィーン窯の威厳も 所詮は 徒花となり 1864年 120年の栄光の末 廃窯することになりました。モールドは1部がヘレンドや ウィーンノイシュタット窯や やがて ワーリスなどに流れて行くのですが ハブスブルグ家ほどの資金も情熱もなく 栄光は引き継がれず 贋作のみ 盛んになりました。

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    「マリア・テレジアと マリー・アントワネット」
    「フランス・ブルボン王朝との第一次ヴェルサイユ条約」
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    「第2黄金期 マリアテレジアの息子ヨーゼフ二世皇帝」 加筆しました。

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    「神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオン」 加筆しました。
    「ウィーン窯・第2黄金期に ナポレオンの毒牙 遂に終焉に」 
    「1864年 ウィーン窯 閉窯後の 正統性の証 モールドの行方」
    「ウィーン窯 廃窯後 60年を経て アウガルテン窯 創窯・継承」 加筆しました。

    当店は 日夜 洋食器の故事来歴を 文献をあさり 蒐集した現物と照らし合わせ 研鑽します。文献には 記したお国 記した窯の 自己顕示欲から 我田引水 荒唐無稽 挙句は 正反対のものまで 乱暴に対立しております。当店は 一所懸命に 混乱を紐解いていきます。洋食器愛好家に 正しく 美を 愛でてほしいからです。作る側の虚偽は 勿論 誇張もいただけません。幸い 当店には 四半世紀にわたり 蒐集してきた 膨大な実物がございます。岡本は 1年364日 この人達?に 語り掛け 問いかけ 来し方を 教わります。実物は 恐いですよ,強いですよ。薄っぺらな 小手先の書の自信のなさは 直ぐに看破します。当店の耐震ビルの 一階は店舗ですが ワンフロア100坪の2階から5階までには当店の気に入ったものから 気には入らないが 永い伝統に生きてきたもの それにはそれなりの支持があったのですから そこは謙虚に敬意を表して 蒐集して来た強い味方
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