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リチャードジノリ > イタリアンシーン(フィレンツェ)

輸入洋食器店アイン お宝倉庫
大阪市にある洋食器、輸入食器専門店のアイン
ウェッジウッド、マイセン、バカラ、ロイヤルコペンハーゲンなど
様々な食器を販売しております
  • リチャードジノリ・インペロフィレンツェ シュガー 150cc 25%Off
    リチャードジノリ・インペロフィレンツェ シュガー 150cc 25%Off
    16,200円

    本体価格: ¥20.000

    写真をクリックすれば ドッチア窯の金ロゴ が見られます。

    旧名 インペロフィレンツェ
    伊名 フィゾール

    ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
    風景画 それも窓枠に描かれた画題は 最高級品とされております。
    イタリアンシーン 美しいフィレンツェの風景です。
    手描き・ハンドトランスファー 併用

    インペロシェープ
    ジノリを 代表する アンピール様式の花
    (ネオクラシック後期 ナポレオン好みの 端正・簡潔な この様式が派生)

  • リチャードジノリ・インペロフィレンツェ ポット 1.27L 25%Off
    リチャードジノリ・インペロフィレンツェ ポット 1.27L 25%Off
    53,460円
    本体価格: ¥66.000
  • リチャードジノリ 【イタリアンシーン(フィエーゾレ)】  ティー(インペロ)C/S 15%Off
    リチャードジノリ 【イタリアンシーン(フィエーゾレ)】  ティー(インペロ)C/S 15%Off
    18,360円

    本体価格: ¥20.000

    小さい写真を クリックすると 拡大します。


     売り切れ 再入荷 

    フィエーゾレ2 フィエーゾレは、イタリア共和国トスカーナ州フィレンツェ県にある、人口約1万4000人の基礎自治体(コムーネ)。
    フィエーゾレの町はフィレンツェから数キロほどはなれた300mほどの高さの小さな丘の上にあり、近隣の土地の美しさを求める旅行の目的地になっている。居住区域のそばの、短いが急な坂の終わりにはサン・フランチェスコ教会がそびえている。
    フィエーゾレの驚きは、かわいらしい町なのに広大な考古学エリアを持っていることにあろう。フィエーゾレといえばまず、保存状態の良い古代ローマ期の劇場が知られている。土地の持つ自然、つまり斜面の傾斜を生かした精巧なつくりが興味深い。
    ところがこれは、フィエーゾレにとって見れば、"新しいほうの"遺跡なのだ。 ここでもっとも重要な歴史的遺構は、彼らの起源といわれるエトルリア期のものになる。エトルリアとは、今のトスカーナ州を中心とした中部イタリアの古称。フィエーゾレは、重要なエトルリア都市国家のひとつであった。保存の行き届いた考古学エリアに入ると、北の下り斜面一帯に遺跡が広がっている。劇場のほか、神殿や浴場などエトルリア期とローマ期の遺跡が共存している。それらの文明が、同じ場所に生きていたことの証だ。


    エトルリア2                古代エトルリア期のフィエーゾレでは、すでに要塞化が始まっていた。考古学エリアの北端には、エトルリア期の威圧感のある石壁が直線状に伸びている。巨大な切石が積み上げられたもので、二千年以上も前のものとは思えない技術がそのままに保存されている)。防御のための要塞壁が、フィレンツェとは逆の方角に築かれている点に、ふと考えさせられる。これが築かれた当時、後の天敵となるフィレンツェは、まだ生まれてさえもいなかったのだ。


    「モナ・リザ」 1503年 - 1505年 ルーヴル美術館      レオナルド1
    「モナ・リザ」 1503年 - 1505年 ルーヴル美術館 レオナルド・ダ・ヴィンチ(サイン)


    フローラ フランチェスコ・メルツィ 1520エルミタージュ美術館
    「フローラ」 フランチェスコ・メルツィ 1520 エルミタージュ美術館


    フランチェスコ・メルツィ レオナルドに最後まで付き従った弟子の一人。彼は1506年、レオナルドの養子となりました。レオナルドは彼に自身の研究ノートともいえる手稿を遺産として残しています。彼の死後手稿は散逸の歴史をたどる事になります。


    古代ローマ時代、花の女神フローラの町としてフロレンティア (Florentia) と名付けた事が語源とされる。
    フィレンツェは 古代にエトルリア人によって町として建設されたが、直接の起源は紀元前59年、執政官カエサルによって入植者(退役軍人)への土地貸与が行われ、ローマ植民都市が建設されたことによる。中世には一時神聖ローマ帝国皇帝が支配した(トスカーナ辺境伯 846年 - 1197年)。次第に中小貴族や商人からなる支配体制が発展し、1115年には自治都市、13世紀に共和制となった(フィレンツェ共和国、1115年 - 1532年)。フィレンツェは近郊フィゾールを獲得し、アルノ川がうるおす広大で肥沃な平野全域の支配計画を進めた。1300年頃、二つの党派、ローマ教皇派・教皇党ネーリ(黒党)と神聖ローマ皇帝党のビアンキ(白党)による内乱がはじまった。内乱はビアンキが敗れ 終止符が打たれた。このような内部抗争が起ころうとも、都市は繁栄していた。
    その後、遠隔地との交易にくわえて、毛織物業を中心とする製造業と金融業でフィレンツェ市民は莫大な富を蓄積し、フィレンツェはトスカーナの中心都市となり、最終的にはトスカーナの大部分を支配したフィレンツェ共和国の首都になった。


    (グッチ)ジノリより新入荷しました。何と 原価80%です。


    当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注しております。


     品番も2911に変わりました。


    アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。


    ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
    アンピールとはルイ王朝の少し退廃的なロココの後(18世紀末) 
    ナポレオン皇帝に好まれた 厳格なネオクラシック・エンパイヤ様式のことです。


    風景画 それも窓枠に描かれた画題は 最高級品とされております。
    イタリアンシーン  ジノリの故郷 美しいフィエーゾレの風景です。
    手描き・ハンドトランスファー 併用


    雄雄しく 歴史に名を連ねた 覇者達 彼らが 歴史の頂点を 極めた時 王者に相応しい 王者の尊厳に そむかぬものを求めて 白い黄金にたどり着く。


    <a href="http://einsshop.blog43.fc2.com/blog-entry-10490.html" target="_blank" title="「悠久の歴史の中に埋もれし 英雄・姫妃との出会い」 コチラをクリック">「悠久の歴史の中に埋もれし 英雄・姫妃との出会い」 コチラをクリック</a> してください。


    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。


  • リチャードジノリ 【イタリアンシーン(フィエーゾレ)】  アンピールC/S・L 25%Off
    リチャードジノリ 【イタリアンシーン(フィエーゾレ)】  アンピールC/S・L 25%Off
    17,820円

    本体価格: ¥22.000


    小さい写真をクリックすると 拡大します。
      

    旧和名 インペロフィレンツェ
    伊名 フィエーゾレ
    フィエーゾレは、イタリア共和国トスカーナ州フィレンツェ県にある、人口約1万4000人の基礎自治体(コムーネ)。
    フィエーゾレの町はフィレンツェから数キロほどはなれた300mほどの高さの小さな丘の上にあり、近隣の土地の美しさを求める旅行の目的地になっている。居住区域のそばの、短いが急な坂の終わりにはサン・フランチェスコ教会がそびえている。
    「 受胎告知」 1913 モーリス・ドニ
    「 受胎告知」 1913 モーリス・ドニ (1870-1943) サン・フランチェスコ教会
    フィエーゾレの驚きは、かわいらしい町なのに広大な考古学エリアを持っていることにあろう。フィエーゾレといえばまず、保存状態の良い古代ローマ期の劇場が知られている。土地の持つ自然、つまり斜面の傾斜を生かした精巧なつくりが興味深い。
    フィエーゾレ
    ところがこれは、フィエーゾレにとって見れば、"新しいほうの"遺跡なのだ。 ここでもっとも重要な歴史的遺構は、彼らの起源といわれるエトルリア期のものになる。エトルリアとは、今のトスカーナ州を中心とした中部イタリアの古称。フィエーゾレは、重要なエトルリア都市国家のひとつであった。保存の行き届いた考古学エリアに入ると、北の下り斜面一帯に遺跡が広がっている。劇場のほか、神殿や浴場などエトルリア期とローマ期の遺跡が共存している。それらの文明が、同じ場所に生きていたことの証だ。
    エトルリア2
    古代エトルリア期のフィエーゾレでは、すでに要塞化が始まっていた。考古学エリアの北端には、エトルリア期の威圧感のある石壁が直線状に伸びている。巨大な切石が積み上げられたもので、二千年以上も前のものとは思えない技術がそのままに保存されている)。防御のための要塞壁が、フィレンツェとは逆の方角に築かれている点に、ふと考えさせられる。これが築かれた当時、後の天敵となるフィレンツェは、まだ生まれてさえもいなかったのだ。

    リュック=オリヴィエ・メルソン作「春の目覚め」(1884年頃?)
    リュック=オリヴィエ・メルソン作「春の目覚め」(1884年頃?)
    古代ローマ時代、花の女神フローラの町としてフロレンティア (Florentia) と名付けた事が語源とされる。
    フィレンツェは 古代にエトルリア人によって町として建設されたが、直接の起源は紀元前59年、執政官カエサルによって入植者(退役軍人)への土地貸与が行われ、ローマ植民都市が建設されたことによる。中世には一時神聖ローマ帝国皇帝が支配した(トスカーナ辺境伯 846年 - 1197年)。次第に中小貴族や商人からなる支配体制が発展し、1115年には自治都市、13世紀に共和制となった(フィレンツェ共和国、1115年 - 1532年)。フィレンツェは近郊フィゾールを獲得し、アルノ川がうるおす広大で肥沃な平野全域の支配計画を進めた。1300年頃、二つの党派、ローマ教皇派・教皇党ネーリ(黒党)と神聖ローマ皇帝党のビアンキ(白党)による内乱がはじまった。内乱はビアンキが敗れ 終止符が打たれた。このような内部抗争が起ころうとも、都市は繁栄していた。
    その後、遠隔地との交易にくわえて、毛織物業を中心とする製造業と金融業でフィレンツェ市民は莫大な富を蓄積し、フィレンツェはトスカーナの中心都市となり、最終的にはトスカーナの大部分を支配したフィレンツェ共和国の首都になった。
                      サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
    花の聖母大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)
    サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、イタリアのフィレンツェにあるキリスト教・カトリックの教会である。フィレンツェの大司教座聖堂であり、ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。教会の名は「花の(聖母)マリア」の意である。アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。


    ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ


    アンピールとはルイ王朝の少し退廃的なロココの後(18世紀末) ナポレオン皇帝に好まれた 厳格なネオクラシック・エンパイヤ様式のことです。


    風景画 それも窓枠に描かれた画題は 最高級品とされております。


    イタリアンシーン 
    ジノリの故郷 美しいフィレンツェの風景です。

    さらに 高級品の象徴 メダイオンが 把手に。

    手描き・ハンドトランスファー 併用


    本来ホットチョコ用
    中世 お姫様たちの間で ホットチョコを飲むのが 流行ました。まるで ホットチョコを飲まないと お姫様で無いかのように。


    ルイ15世の王太子妃マリア・テレサ(スペイン王室の姫。2番目の王太子妃が かのアウグスト強襲王の孫娘 マリアヨゼファ磁器王女。 2番目ながら ルイ16世の生母として 大いに権勢を揮ったそうです。)をして「王とチョコレートは わらわの ただ二つの情熱」と言わしめたように 中世ヨーロッパにおいて ホットチョコは 上流階級用の 高級飲料とされておりました。片やオスマントルコ伝来のコーヒーは オーストリアのウィンナーコーヒーとして 花開くのですが 巷間 カフェが 繁盛しましたように どちらかというと 一般大衆用のものとされておりました。


    当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注しております。


    「洋食器ーそれは交響楽(オーケストラ)です。」 詳しくは コチラをクリック してください。


    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。

    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。




  • リチャードジノリ 【イタリアンシーン(フィエーゾレ)】  アンピールC/Sリチャードジノリ 【イタリアンシーン(フィエーゾレ)】  アンピールC/S・S 50%Off ・S 25%Off
    リチャードジノリ 【イタリアンシーン(フィエーゾレ)】  アンピールC/Sリチャードジノリ 【イタリアンシーン(フィエーゾレ)】  アンピールC/S・S 50%Off ・S 25%Off
    11,880円

    本体価格: ¥22.000

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    この真正な新品 お熟成アインにしかありません。
    主だったお店を調べましたが 割引のある一般店で 取り扱いのあるお店はございません。お熟成アインがお安い部類です。
    クッチシノリ社は 安売りをして倒産するのは嫌だと公言して プライスを大幅に上げております。苦労していれても 割引ができません。損を覚悟で10%ffがせいぜいです。
    それではお熟成アインは何故 重厚な旧作をお安すくできるのでしょう ? それは売るのが下手だからです。大概のお店は 色々な宣伝広告をしたり ポイントをつけたりしてお高くさばいていかれます。売り下手のアインは ひたすらお熟成 お値打ちのつくのを待ちます。お陰で 今では これだけの美品は手に入りません。お熟成アインの真骨頂 ! !


    お熟成価格は 安くて美味しい。お熟成ワインは ボージョレヌーボーより美味しいですが プレミアムが付いた分 高くなる。何故 お熟成アインは 安くなるんですか ? お熟成のプレミアムも お客様に差し上げているからです。 


    18年前 ヨーロッパ最大のドイツの リチャードジノリ代理店が代理店契約終了に当たり 在庫の処理を巡り リチャードジノリ社とトラブっておりましたので アインが 40フィートコンテナ2本分の在庫を引き受けました。超一流店として アインに足らざるブランド洋食器300年の歴史と伝統を買いました。
    以来 グッチジノリになるまで フィレンツェ本店から仕入れをしておりました。


    旧和名 インペロフィレンツェ

    伊名 フィエーゾレ


    フィエーゾレは、イタリア共和国トスカーナ州フィレンツェ県にある、人口約1万4000人の基礎自治体(コムーネ)。
    フィエーゾレの町はフィレンツェから数キロほどはなれた300mほどの高さの小さな丘の上にあり、近隣の土地の美しさを求める旅行の目的地になっている。居住区域のそばの、短いが急な坂の終わりにはサン・フランチェスコ教会がそびえている。
    フィエーゾレの驚きは、かわいらしい町なのに広大な考古学エリアを持っていることにあろう。フィエーゾレといえばまず、保存状態の良い古代ローマ期の劇場が知られている。土地の持つ自然、つまり斜面の傾斜を生かした精巧なつくりが興味深い。


    フィエーゾレ
    ところがこれは、フィエーゾレにとって見れば、"新しいほうの"遺跡なのだ。 ここでもっとも重要な歴史的遺構は、彼らの起源といわれるエトルリア期のものになる。エトルリアとは、今のトスカーナ州を中心とした中部イタリアの古称。フィエーゾレは、重要なエトルリア都市国家のひとつであった。保存の行き届いた考古学エリアに入ると、北の下り斜面一帯に遺跡が広がっている。劇場のほか、神殿や浴場などエトルリア期とローマ期の遺跡が共存している。それらの文明が、同じ場所に生きていたことの証だ。

     
    エトルリア
    古代エトルリア期のフィエーゾレでは、すでに要塞化が始まっていた。考古学エリアの北端には、エトルリア期の威圧感のある石壁が直線状に伸びている。巨大な切石が積み上げられたもので、二千年以上も前のものとは思えない技術がそのままに保存されている)。防御のための要塞壁が、フィレンツェとは逆の方角に築かれている点に、ふと考えさせられる。これが築かれた当時、後の天敵となるフィレンツェは、まだ生まれてさえもいなかったのだ。



    フレデリック・ ソウラクロワ作「春」
    フレデリック・ ソウラクロワ作「春」



    リュック=オリヴィエ・メルソン作「春の目覚め」(1884年頃?)
    リュック=オリヴィエ・メルソン作「春の目覚め」(1884年頃?)

    古代ローマ時代、花の女神フローラの町としてフロレンティア (Florentia) と名付けた事が語源とされる。
    フィレンツェは 古代にエトルリア人によって町として建設されたが、直接の起源は紀元前59年、執政官カエサルによって入植者(退役軍人)への土地貸与が行われ、ローマ植民都市が建設されたことによる。中世には一時神聖ローマ帝国皇帝が支配した(トスカーナ辺境伯 846年 - 1197年)。次第に中小貴族や商人からなる支配体制が発展し、1115年には自治都市、13世紀に共和制となった(フィレンツェ共和国、1115年 - 1532年)。フィレンツェは近郊フィゾールを獲得し、アルノ川がうるおす広大で肥沃な平野全域の支配計画を進めた。1300年頃、二つの党派、ローマ教皇派・教皇党ネーリ(黒党)と神聖ローマ皇帝党のビアンキ(白党)による内乱がはじまった。内乱はビアンキが敗れ 終止符が打たれた。このような内部抗争が起ころうとも、都市は繁栄していた。
    その後、遠隔地との交易にくわえて、毛織物業を中心とする製造業と金融業でフィレンツェ市民は莫大な富を蓄積し、フィレンツェはトスカーナの中心都市となり、最終的にはトスカーナの大部分を支配したフィレンツェ共和国の首都になった。


    アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。


    ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
    アンピールとはルイ王朝の少し退廃的なロココの後(18世紀末) ナポレオン皇帝に好まれた 厳格なネオクラシック・エンパイヤ様式のことです。


    風景画 それも窓枠に描かれた画題は 最高級品とされております。
    イタリアンシーン 
    ジノリの故郷 美しいフィレンツェの風景です。さらに 高級品の象徴 メダイオンが 把手に。
    手描き・ハンドトランスファー 併用


    本来ホットチョコ用
    中世 お姫様たちの間で ホットチョコを飲むのが 流行ました。まるで ホットチョコを飲まないと お姫様で無いかのように。


    ルイ15世の王太子妃マリア・テレサ(スペイン王室の姫。2番目の王太子妃が かのアウグスト強襲王の孫娘 マリアヨゼファ磁器王女。 2番目ながら ルイ16世の生母として 大いに権勢を揮ったそうです。)をして「王とチョコレートは わらわの ただ二つの情熱」と言わしめたように 中世ヨーロッパにおいて ホットチョコは 上流階級用の 高級飲料とされておりました。片やオスマントルコ伝来のコーヒーは オーストリアのウィンナーコーヒーとして 花開くのですが 巷間 カフェが 繁盛しましたように どちらかというと 一般大衆用のものとされておりました。


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    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


    ジノリ カポデモンテ ナポリ窯 の真贋について
    スペイン・ブルボン家のカルロス王子・パルマ公(1716年 - 1788年)は ポーランド継承戦争(1733年 - 1735年)が起こると、フランス王ルイ15世の支援を受け、兵を集めて1734年、オーストリア領シチリアとナポリを占領した。南イタリアは 13世紀から代々スペイン領であったが、先のスペイン継承戦争(1701年 - 1713年)でオーストリアに 奪われた土地であった。1735年 ナポリ王、シチリア王(在位:1735年 - 1759年)に即位してカルロ7世およびカルロ5世となる。当時、ナポリとシチリアは 別々の王国として扱われたが、実質的にはこの時 両シチリア王国が成立したといえる。1738年、ザクセン選帝侯兼ポーランド王アウグスト3世の長女マリア・アマリア・フォン・ザクセン(神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の孫でもある)と結婚した。彼女は王に愛され 生涯にわたり13人の子をなすのですが 初めの40,42年の2人の娘は 喜びも束の間に夭折します。1743年 3人目の娘が無事に生まれ 喜びの中 マリア・アマリアは 磁器王女(マイセン創窯のアウグスト強襲王・ポーランド王の孫娘)に相応しいカポディモンテ窯を創設させました。(蝶よ花よと育てられたこの姫も6歳にしてなくなるのですが 前年には後継ぎのカルロス4世を儲けております。更に前年の長男フェリペは 病により継承辞退。)
    1759年、カルロスは 異母兄フェルナンド6世の死去によりスペイン王即位の為、スペインに帰国し カルロス3世に就く。カルロス3世は、ブルボン朝のスペイン王(在位:1759年 - 1788年)スペインの啓蒙専制君主と言われる。帰国に際し、カポディモンテ窯はモールドは 勿論 職人も含めて、総てを スペインのBuen Retiro (1808年まで生産が続けられた。)に譲渡されました。両シチリア王国の王位は 8歳の三男フェルナンド(フェルディナンド1世)に譲られた。


    1771年 王妃マリア・カロリーナ ナポリ窯創設の根拠。
    フェルディナンド1世(1751年 - 1825年)は、両シチリア王国の最初の王(在位:1815年 - 1825年)。シチリア王としてはフェルディナンド3世(在位:1759年 - 1815年)、ナポリ王としてはフェルディナンド4世(在位:1759年 - 1806年、1815年)を名乗っていた。
    スペイン王カルロス3世とマリア・アマリア・フォン・ザクセンの三男、カルロス4世の弟。妻は神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの娘でフランス王妃マリー・アントワネットの姉であるマリア・カロリーナである。
    マリア・カロリーナ
    当初はフランス王ルイ16世との縁組みが考えられていたが、ナポリ王と婚約していたすぐ上の姉マリア・ヨーゼファが1767年、結婚直前に急死したため、翌1768年に急遽マリア・カロリーナがナポリのフェルディナンド4世へ嫁ぐことになった。突然の結婚に、同じ部屋で暮らし非常に親しかった妹マリア・アントーニア(マリー・アントワネット)は大変悲しんだという。
    婚前の約束から、政治に興味を持たなかった夫フェルディナンドに代わって政治の実権を握った。長きにわたって続いたスペインの政治的干渉からナポリ王国を解放し、前国王時代から政治を牛耳っていたベルナルド・タヌッチを追放、兄レオポルト2世にならい士官学校を作り、軍隊の再編をしている。また、多くの子にも恵まれ、母マリア・テレジアに最も似た人生を送った。軽率なマリー・アントワネットではなくマリア・カロリーナが当初の予定通りフランス王妃となっていたら、歴史は大きく異なっていたと言われている。
    フェルディナンド1世は アウグスト強襲王(強精と強力は 夙に有名で 両手で 馬の蹄鉄をへし折って 驚く人にご満悦)血筋ゆえか 体力に恵まれ性格も非常に善良であったが、王族としての正式な教育を受けておらず、若い頃から重要な書類には家臣に自分のサインのスタンプを押させ、自らは狩りやスポーツに明け暮れた。性格が正反対と言ってもいいマリア・カロリーナ妃が嫁ぐとすぐに妃に夢中になった。妃からは教養の無さや行儀作法の悪さを「かわいいおばかさん」と呼ばれていた。しかし夫婦仲は良好であり、子に恵まれ家庭生活は幸せなものであった。結婚時の約束の一つに、妃が王子を産めば摂政になれるという約束があり、王子誕生後は政治的実権は完全にマリア・カロリーナが握っており、フェルディナンドは狩りや社交に徹していた。
    フェルディナンド1世は女性の手、特に手袋をした手を偏愛しており、マリア・カロリーナは何か頼みごとがある時は長手袋の手をすっと彼に差し出していた。フェルディナンドはうっとりとし、何でも妃の願い事を聞いたという。
    庶民の食べ物であった細打ちのパスタ(いわゆるスパゲティ)を気に入り、宮廷で供するよう命じたが、当時スパゲティは手づかみで食べるものであり、マリア・カロリーナから下品であると反対された。このことからパスタを食べるための道具としてフォークが採用されたという。1820年のカルボナリによって引き起こされたナポリ革命後は妃の故里ウィーンに亡命。晩年はアブルッツォやリエーティで暮らし、ナポリで亡くなった。


    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。


     


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