カテゴリー

全件表示 (5109) 福袋 (6) 新入荷商品 (146) 祝敬老の日フェア (103) 祝体育の日フェア (83) アウガルテン (89) アビランド (396) アラビア (5) ウェッジウッド (1104) エインズレイ (50) エルメス (147) クラダリング/クリスタルダルク (6) クリストフル (92) サルビアティ (59) ジョルジュボワイエ (25) スポード/ダッチェス (27) スワロフスキー (88) バカラ (248) ビレロイボッホ (10) ビングオーグレンダール (18) フッチェンロイター (60) ブルガリ・ローゼンタール (36) フュルステンベルグ (3) ヘキスト (22) ヴェルサーチ・ローゼンタール (48) ヘレンド (429) ボヘミア (65) ホヤ (17) マイセン (488) ミントン (41) メニュー(デンマーク) (7) ラリック (6) リーデル (5) リチャードジノリ (856) その他 (1) 赤にわとり/ オロディドッチア (7) アクアレール / ストレッサー (9) イントラ/ ジオカルティン/ ジュエリー/ デルフィー (9) アガサブルーフラワー (29) アマデウスジャーダー&ブルー (27) アマデウス・トリオンフォ・イタリアーノ (12) アマデウスの唄 ジャーダー (18) アマデウスの唄 トラメ (16) アマデウスの唄 ブルー (21) アラゴスタ/ フィッシュデコー (13) アンティックローズ (8) アンティコ・エデン/ チェリー/ ミレーラ (14) イタリアンシーン(フィレンツェ) (14) イタリアンフルーツ (31) インペロフルーツ (13) ベッキオフルーツ(ペルージャ)/ ヴァル・ド・オルチャ (13) イヤー/ ナタールプレート (1) インペロカメリア (15) インペロジュリエッタ (18) インペロスカラ (8) インペロダイヤモンド (3) インペロミストラル (16) インペロメッシュ(ポルトフィノ) (5) インペロイェロー (12) インペログリーン (12) インペロブラック (21) インペロブルー (9) インペロロッソ (12) インペロ色々 (20) エルバ/ カプリ (7) オリエントエクスプレス (7) ガーデンローズ (4) カポデモンテ (7) カラーコレクション (2) グランデューカ (12) クリッパー (16) サボイア家 森の果実 (1) サンタマルガリータ/ 手作りの花 (2) ジオポンティ・ファンティニ・フィグレ・ムーゼ (3) ジャルディーノブルー (6) ジュビレオコレクション (21) シリウス座/ ヌヴォラアイリス (16) ヅッカ/ ボルドオロ (2) トスカーナ (16) パールブルー (2) ピノキオ (2) ピンク・ブルーのチューリップ/ りんごの花 (11) ファルダ / インテリアデザイン (6) ファルファッレフィオリータ (2) プリマヴェーラ (5) プリンセスローズ (11) ベッキオ・グレース (1) ベッキオ・ジェンマ(翡翠) (21) ベッキオ・フィオーリ(レバント)/ヴェルディ (10) ベッキオ・ホワイト (89) ベネチアンローズ (7) ボルドーブルー (10) ホワイトアイリス (2) ホワイト・アンティコ/ デダロ/ ヴェラ/ ラゴ (4) ボンジョルノストロベリー (3) ボンショルノチェリー (15) ボンジョルノプルーン (10) マルコポーロ・ブルー/ レッド (4) ミュージオ・クラシコ (16) ミュージオ・パストラーレ/ フィオッコ (14) ミュージオ・ドッチア/ ローマ (2) ミュラレス(壁画)  (1) メダイオン (20) ラベロ (36) ローズブルー (15) ロイヤルブルー (2) ロゼリーニ (6) リヤドロ (55) レイノー (5) ローゼンタール (5) ロイヤルアルバート (61) ロイヤルウースター (28) ロイヤルクラウンダービー (21) ロイヤルコペンハーゲン (436) ロイヤルドルトン (37) ロイヤルベルリン・KPM (8)

リチャードジノリ > インペロ色々

輸入洋食器店アイン お宝倉庫
大阪市にある洋食器、輸入食器専門店のアイン
ウェッジウッド、マイセン、バカラ、ロイヤルコペンハーゲンなど
様々な食器を販売しております
  • リチャードジノリ・インペロホワイト 27cmmボウル 30%Off
    リチャードジノリ・インペロホワイト 27cmmボウル 30%Off
    11,340円

    本体価格: ¥15.000


    インペロシェープ
    ジノリを 代表する アンピール様式の花
    (ネオクラシック後期 ナポレオン好みの 端正・簡潔な この様式が派生)


     

  • リチャードジノリ 【インペロブラウン】 エスプレッソC/S 100cc 20%Off
    リチャードジノリ 【インペロブラウン】 エスプレッソC/S 100cc 20%Off
    15,552円

    本体価格: ¥18.000


    小さい写真を クリックすると 拡大します。


    伊名 コンテッサブラウン


    コンテッサとは伯爵夫人 伯爵の妻か 女性の伯爵を言う

     伯爵夫人
    コンテッサ『伯爵夫人』
    1967年 公開された喜劇映画で、チャールズ・チャップリン最後の監督作品。本作は チャップリン作品中、唯一のカラー映画である。また、チャップリンが自分の監督作品で主演をしなかったのは この「伯爵夫人」と、1923年公開の「巴里の女性」のみである。白髪のチャップリンは 端役でカメオ出演(スペシアルゲストのワン・シーン)しているが、これは彼がスクリーンに見せた最後の姿となった。アルフレッド・ヒッチコック監督の作品で一躍 スター女優となったティッピ・ヘドレン、そしてチャップリンの次男であるシドニー・アール・チャップリンも出演。
    本作は興行的にも失敗し、批評家からの評価も得られなかった。しかし、チャップリン自身が作曲した劇中の楽曲 "This Is My Song" は、ペトゥラ・クラークの歌唱によりヒット曲となり、制作費の赤字が穴埋めされることとなった。

    伯爵夫人歌

    粗筋

     石油王の息子で駐サウジアラビア大使に任命されたオグデン・ミアーズ(マーロン・ブランド)は、世界旅行を終え、アメリカに帰国する船の上にいた。彼は寄港した香港でロシアからの伯爵夫人ナターシャ(ソフィア・ローレン)に会う。彼女は売春行為を強要される香港での生活から逃れるため、オグデンの乗る船に忍び込み密航を図るが、オグデンに見つかってしまう。俳優たちのドタバタぶりが往年の彼の芝居にそっくりなのが微笑ましいロマンチック・コメディ。

    執事役のP・カーギルが“これぞ執事の鏡”とでも言うような見事な演技とギャグを見せる。


    ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ

    有るのが不思議なエナメル手工芸・廃盤品

    今や ドッチアミュージアムでしか出会えません。


    手塗りのエナメルは 深い漆の質感を 呈します。


    本金は 古色が付いています。


    インペロシェープ

    ジノリを 代表する アンピール様式の花
    (ネオクラシック後期 ナポレオン好みの 端正・簡潔な この様式が派生)
     

    *アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。


    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。


    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。



  • リチャードジノリ 【インペロパープル】  トロフィーベース H14cmX W19(φ14)cm 30%Off
    リチャードジノリ 【インペロパープル】  トロフィーベース H14cmX W19(φ14)cm 30%Off
    151,200円

    本体価格: ¥200.000


    小さい写真をクリックすれば 拡大します。


    旧・ジノリで 廃盤に


    優勝記念に

    トロフィー(英: Trophy)は、主にスポーツの試合や競技会において優勝者に授与される優勝カップ・優勝楯・像などの総称である。元々は戦利品を意味し、勝利の女神(ニーケー ギリシア神話に登場する勝利の女神。ローマ神話ではヴィクトーリア (Victōria) と呼ばれる。一般には有翼の女性の姿で表される。アテーナーの随神だが、アテーナーの化身とする場合もある。サモトラケ島で発掘された彫像 ルーヴル美術館所蔵「サモトラケのニケ」が有名。英語ではナイキ)に祝福された勝者を称える儀式的な意味合いがある。狩猟で仕留めた鹿などの首から上の部分を剥製にするなどして、壁に飾ったりするものをハンティング・トロフィーという。狩猟戦利戦争で敵から奪い取った鎧・兜・盾などを戦利品として飾る慣習からといわれる。紀元前の硬貨・テトラドラクマ銀貨の裏面には、柱に飾られた戦利品の甲冑に勝利の女神・ニケが銘文を刻もうとしている様子が描かれており 古くからの慣習であったと言える。


    ステュクス河(Stuvx)
    「ぞっとするもの、タブーであるもの」の意。ギリシア神話において冥界を流れる主要な河。ステュクス河はタブーであったが、それはこの河が、クリトールの町の近くの山中にある、大地母神を祀った、女陰をかたどった秘密の神殿から流れ出てくる、母神の経血になぞらえられていたからである。古代世界のたいていの河と同じく、ステュクス河も女神に擬せられ、「大洋の娘」と呼ばれた。彼女はパッラス(「リンガ」)と結婚し、「力」、「強さ」、「支配」(ニーケー)を生んだ。これは、精液と経血を混合すると生じると、一般に信じられていた魔力の神話的表現である。


    Nike(ニーケー)
    「支配」または「勝利」を意味し、生誕の川の擬人化であるステュクス河から生まれた古代ギリシア以前の時代の女神。ニーケーの生んだ子がパッラス〔男根の意〕であった。《勝利》の意で、その擬人化された女神。ローマのウィクトーリア。
    ヘーシオドスは彼女をティーターン神族のパラースとステュクスとの娘で、ゼーロース《競争心》、クラトス《支配》、ビアー《暴力》の姉妹としている。オリュムポスの神々をたすけてティーターン親族と闘ったので、ゼウスに賞せられた。
    彼女はまた競技の勝利の女神であり、ペルシア戦争の勝利は彼女の人気を急激に増大させた。
    彼女はよく軍の女神としてアテーナーに従って表されている。普通有翼の若い女神として造形美術で表現され、オリュムポス出土のパイオーニオス作 およびサモトラーケー出土の有名な像が残っている。彼女はギリシア各地に神殿を持っていた。
    『勝利の女神』クリスチャン・ダニエル・ラウホ(1777-1857)              
    『勝利の女神』クリスチャン・ダニエル・ラウホ(1777-1857)


    ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ

    有るのが不思議なエナメル手工芸・廃盤品

    手塗りのエナメルは 深い漆の質感を 呈します。


    インペロシェープ
    ジノリを 代表する アンピール様式の花
    (ネオクラシック後期 ナポレオン好みの 端正・簡潔な この様式が派生)


    ナポレオン・ボナパルト 絶頂期から帝国崩壊へ

    1808年5月、ナポレオンは ブルボン朝の内紛に介入し、ナポリ王の兄ジョゼフを今度はスペイン王に就けたが スペイン独立戦争(1808年 - 1814年)が起こり、スペインゲリラ(「ゲリラ」という語はこのとき生まれた)に フランス軍は苦戦を強いられた。ナポレオン軍のスペイン人虐殺を描いたゴヤの絵画(『マドリード、1808年5月3日』)は有名である。ナポレオンが後に「スペインの潰瘍が私を滅ぼした」と語ったとおり、このスペイン戦役は、ナポレオンの栄光のターニング・ポイントであった。7月、背後にイギリスがついたスペイン軍・ゲリラ連合軍に フランス軍が降伏。ナポレオンの陸上での最初の敗北だった。
    オーストリアは、1809年、イギリスと組んで第五次対仏大同盟を結成する。ナポレオンは オーストリア軍に一勝一敗後 7月のヴァグラムの戦いでは多数の死傷者をだしながら辛勝した。第五次対仏大同盟は消滅した。
    この年、後嗣を生めない皇后ジョゼフィーヌを離別して、1810年にオーストリア皇女マリ・ルイーズと再婚した。1811年に王子ナポレオン2世が誕生すると、ナポレオンはこの乳児をローマ王の地位に就けた。


    ナポレオン モスクワからの退却
    アドルフ・ノーザン『ナポレオンのモスクワからの退却』
    アドルフ・ノーザン『ナポレオンのモスクワからの退却』

     大陸封鎖令により 産業革命をなしたイギリスの物産を受け取れない 欧州諸国と重農主義のフランス産業も経済的に困窮した。1810年にはロシアが大陸封鎖令を破りイギリスとの貿易を再開。1812年、ナポレオンは 同盟諸国兵を加えた60万の大軍でロシア遠征(ロシア祖国戦争)を決行。
    ロシア軍司令官 隻眼の老将クトゥーゾフは 会戦を避け広大なロシア国土の奥深くへ誘い、フランス軍の補給を断つ焦土戦術で 疲弊を待った。フランス軍は兵站に苦しみ、脱落が続出 1/3以下になった兵力ながら ボロジノの戦いに勝利し モスクワに入城するが ロシア兵の焦土戦術でモスクワは焼け野原と化した。ロシアの冬将軍を目前にして ナポレオンは遠征の失敗を悟る。フランス軍の撤退開始を聞いたクトゥーゾフは、コサック騎兵に フランス軍を追撃させ 冬将軍も援軍に フランス兵を全軍の1%以下 わずか5千人に殲滅した。敗報の届いたパリでのクーデター事件に ナポレオンは脱出帰国する。
    この大敗にプロイセンは 諸国に呼びかけて第六次対仏大同盟を結成する。新兵を強制徴兵し 同盟軍と戦うナポレオンは 勝敗を繰り返しながら 情勢の悪化に苦しむ。オーストリア・プロイセン軍25万、スウェーデン軍16万、イギリス軍10万の大包囲網が完成。片やナポレオンは わずか7万の手勢しかなく 3月31日に ナポレオン帝国の首都パリを陥落される。ナポレオンは 無条件退位させられ(4月4日、将軍連の反乱)、4月16日のフォンテーヌブロー条約の締結の後、エルバ島の小領主として追放された。この一連の戦争は解放戦争と呼ばれる。
    1814年、フランツ2世の使者を名乗る人物が突然マリー=ルイーズの所にやってきて、半ば強制的に彼女とナポレオン2世を連れて行ってしまった。
    4月12日、全てに絶望したナポレオンはフォンテーヌブロー宮殿で毒をあおって自殺を図ったとされている。 紆余曲折の末、ブルボン家が後継に選ばれた(王政復古)。


    百日天下

    1815年 ウィーン会議「会議は踊る、されど進まず」締結後 平和な30年ウィーン体制・王制
    同年、ナポレオンはエルバ島を脱出し、パリに戻って復位を成し遂げる。ナポレオンは 連合国に講和を提案したが拒否され、結局戦争へと進んでいく。しかし、緒戦では勝利したもののイギリス・プロイセンの連合軍にワーテルローの戦いで完敗してナポレオンの復位(百日天下)は幕を閉じることとなる(実際は95日間)。ナポレオンは再び退位に追い込まれ、イギリスの軍艦に投降し イギリス政府は ナポレオンを南大西洋の孤島セントヘレナ島に幽閉した。

    ナポレオンは 「ナポレオン伝説」の形成に大きく寄与する 膨大な回想録(口述筆記)を残した。実質的な監禁生活の中 心労も重なってナポレオンの病状は進行し、1821年 欧州全体の動揺を横目に 胃癌により(公表)死去した。彼の遺体は遺言により解剖されて ヒ素による暗殺の可能性も指摘された。その遺骸は1840年にフランスに返還され、現在はパリのオテル・デ・ザンヴァリッド(廃兵院)に葬られている。


    「欧州磁器戦争史 (リチャードジノリ)」 詳しくは コチラをクリック してください。



  • リチャードジノリ・インペロベニス ティーC/S 30%Off
    リチャードジノリ・インペロベニス ティーC/S 30%Off
    9,072円

    本体価格: ¥12.000

    写真をクリックすれば サインロゴ が見られます。

    ジアン・バッティスタ・ヴァノッティ作 サインロゴ
    手工芸品 ハンドトランスファー

  • リチャードジノリ・アミール エスプレッソC/S 10%Off
    リチャードジノリ・アミール エスプレッソC/S 10%Off
    19,440円

    本体価格: ¥20.000

    小さい写真をクリックすると 拡大します。


    <a href="http://blog-imgs-85.fc2.com/e/i/n/einsshop/2015110309273889b.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-85.fc2.com/e/i/n/einsshop/2015110309273889b.jpg" alt="シャッラ" border="0" width="283" height="283" /></a> ここをクリックすると 写真がでます。
    イタリアのラッパー エジプト移民二世アミールが歌う主題歌の「Scialla(シャッラ)!」 『ブルーノのしあわせガイド』は2011年のイタリアのコメディ映画。 脚本家として知られるフランチェスコ・ブルーニの監督初作品。 2011年の第68回ヴェネツィア国際映画祭でコントロカンポ・イタリアーノ賞など計3部門を受賞した他、2012年の第57回ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の新人監督賞などを受賞している。日本では2012年4月から5月にかけて東京と大阪で開催された「イタリア映画祭2012」において『シャッラ/いいから!』の邦題で上映された後、2013年4月13日に一般公開された。
    気ままな独身生活を送っていた中年男ブルーノが、かつて一夜をともにした女性マリーナから、存在すら知らなかった15歳になった息子で問題児のルカを預けられて同居することになり、戸惑いながらも息子との絆を深めて行き、2人が名実ともに父子になって行く姿をユーモラスに描く。
    「Scialla(シャッラ)!」 語源の一つ、それはアラビア語の「インシャーァッラー(inshallah)から来ているという説。本来はムスリムの間で使われるアラビア語の「神の御心のままに」という意味ですが、「まぁ何とかなるよ、どうにかなるんだよ」という意味でもあります。


    ふっと 思い浮かぶ 「ケセラセラ」 また今度


    アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。


    ミュージアムコレクション
    ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ 
    王冠 GALITZINE サイン


    手描き 銅版ハンドトランスファー 手描き金彩

    本金は 古色が付きます。
    風格がある 古色は捨て難いのですが 軽く磨けば 元の金ピカになります。


    雄雄しく 歴史に名を連ねた 覇者達 彼らが 歴史の頂点を 極めた時
    王者に相応しい 王者の尊厳に そむかぬものを求めて 白い黄金にたどり着く。


    <a href="http://einsshop.blog43.fc2.com/blog-entry-10490.html" target="_blank" title="「悠久の歴史の中に埋もれし 英雄・姫妃との出会い」コチラをクリック">「悠久の歴史の中に埋もれし 英雄・姫妃との出会い」コチラをクリック</a> してください。


    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでも カオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
     次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。
     当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年ごろからリモージュのカオリンを 用いることで 完璧な白磁を完成させております。
    1834年には スペイン王カルロ3世の カポデモンテ窯の 閉窯に際し モールド類を引き取り 以後 ジノリが カポデモンテを引き継いでおります。(カポディモンティ窯とジノリについては ジノリ社の主張に 俄かに信じ難きことあり もっと検証後に)
    1869年には リチャード社を 合併して 今の リチャードジノリ社になりました。
     特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して 新しい 芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。


(カテゴリー内 : 20点)

カートの中身

カートに商品は入っていません

商品検索