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リチャードジノリ > イントラ/ ジオカルティン/ ジュエリー/ デルフィー

輸入洋食器店アイン お宝倉庫
大阪市にある洋食器、輸入食器専門店のアイン
ウェッジウッド、マイセン、バカラ、ロイヤルコペンハーゲンなど
様々な食器を販売しております
  • リチャードジノリ・ラゴホワイト 27cmプレート 20%Off
    リチャードジノリ・ラゴホワイト 27cmプレート 20%Off
    6,912円
    本体価格: ¥8.000

    ボーンチャイナ
  • リチャードジノリ 【デルフィー】 21cmプレート  20%Off
    リチャードジノリ 【デルフィー】 21cmプレート  20%Off
    8,208円

    本体価格: ¥9.500


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    デルフィは、ギリシャ共和国中央ギリシャ地方の地名。世界遺産に登録されている古代ギリシャの聖地デルポイの現代名である。
    現代のデルフィは、デルポイの遺跡の付近にある集落の名である。
    RG デルフィ
    デルポイの遺跡

    デルフィー 花言葉

    洋ランの仲間に、デルフィーの愛称を持つ、デルフィニウムという花があります。この花のつぼみはイルカに似て愛らしく、青・水色・紫・白・ピンク・黄・オレンジなど様々な色の種をもちます。このデルフィニウムの花言葉は「幸福をふりまく」とされています。
    デルフィニューム
    デルフィニウム

    アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが  お熟成アインのは ピカピカの 新品です。

    縄文式土器
    縄文式土器 約1万6000年前から約2300年前
    組紐模様 縄文式土器にもある如く 古くから成立しているが 特に古代ローマ時代に 大いに発達しました。
    組紐模様
    組紐模様

    ラゴシェイプ ジノリには珍しいボーンチャイナ

    当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注しております。このお品も 特別ロゴ  のついた由緒正しきお品です。
    RG デルフィ 21cp 0070 (4)
    特別ロゴ
    リチャードジノリ社認知の世界の一流店のみに この特別制品が提供されております。一般店には普通のジノリロゴの製品です。しかし それすら一般店に 最早 新品はございません。

    旧ジノリで 廃盤になりました。
    ハンドトランスファー 手工芸品にて 採算合わず。
     
    「洋食器ーそれは交響楽(オーケストラ)です。」 詳しくは コチラをクリック してください。

    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。

    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」

    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。


  • リチャードジノリ・デルフィー 兼用C/S 20%Off
    リチャードジノリ・デルフィー 兼用C/S 20%Off
    15,552円

    本体価格: ¥18.000

    写真をクリックして 中の写真を クリックすると 拡大します。

    アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。

    組紐模様 縄文式土器にもある如く 古くから成立しているが 特に古代ローマ時代に 大いに発達しました。

    旧ジノリで  廃盤になりました。
    ハンドトランスファー 手工芸品にて 採算合わず。

    ラゴシェープ

    ジノリには 珍しいボーンチャイナです。


  • リチャードジノリ 【ジュエリー】 21cmプレート  20%Off
    リチャードジノリ 【ジュエリー】 21cmプレート  20%Off
    12,096円

    本体価格: ¥14.000


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    金箔ボディージュエリー
    金箔ボディージュエリー  女性の美しさは 花に 蝶に 例えられ ついには宝石にも例えられるんですね。


    銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子に如(し)かめやも(『万葉集』巻5-803)


    宝

    瓜食めば 子供念(おも)ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ 何処(いづく)より 来たりしものぞ 眼交(まなかい)に もとな懸りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ(『万葉集』巻5-802)


    瓜食めば 子供念(おも)ほゆ


    憶良らは今は罷らむ子泣くらむ それその母も我を待つらむそ


    山上憶良(斉明天皇6年(660年)? - 天平5年(733年)?)は、奈良時代初期の貴族・歌人。名は山於 億良とも記される。姓は臣。官位は従五位下・筑前守。春日氏の一族にあたる皇別氏族の山上氏(山上臣)の出自とされる。山上の名称は大和国添上郡山辺郷の地名に由来するとされ、山於(やまのえ)とも記される。一方で日本文学界において万葉学者の中西進が、憶良は天智・天武両天皇の侍医を務めた百済人憶仁の子で、百済の滅亡に際して父親とともに日本に渡来、近江国甲賀郡山直郷に住み着いたことから山上氏を称するようになったが、次第に土地の有力氏族である粟田氏に従属し同族化していったとする説を唱えている。この説に対しては、青木和夫、佐伯有清が、歴史学の立場から批判を加えている。
    大宝元年(701年)第七次遣唐使の少録に任ぜられ、翌大宝2年(702年)唐に渡り儒教や仏教など最新の学問を研鑽する(この時の冠位は無位)。なお、憶良が遣唐使に選ばれた理由として大宝の遣唐使の執節使である粟田真人が同族の憶良を引き立てたとする説がある。


    いざ子ども(従者や舟子ら) はやく日本(やまと)へ 大伴の 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ(唐にて詠んだ歌)(『万葉集』巻1-63)


    遣唐使船
    遣唐使船

    八世紀の遣唐使船のうち全ての船が無事に往復できたのは、 只の一回だけでした。遣唐使船が四隻なのは、どれか一隻でも中国に着く ためだったのです。遣唐大使の任命を 出世より命と拒否する人もいたぐらいです。「続日本紀」 日本から唐に渡った僧・栄叡、普照らから戒律を日本へ伝えるよう懇請された鑑真は5回もの失敗(出航に失敗も含む)の上 失明までして6回目に ついに来日 唐招提寺に戒壇を打ち立てました。遷化を惜しむ鑑真の弟子の忍基が作らせた日本最古の肖像彫刻(脱活乾漆像)国宝唐招提寺鑑真像のキリリと結ばれた口許からは 見る人をして大和上の強い意志の人を感じ要らせるでしょう。
    鑑真和上坐像
    国宝唐招提寺鑑真和上坐像


    和銅7年(714年)正六位下から従五位下に叙爵し、霊亀2年(716年)伯耆守に任ぜられる。養老5年(721年)佐為王・紀男人らとともに、東宮・首皇子(のち聖武天皇)の侍講として、退朝の後に東宮に侍すよう命じられる。
    神亀3年(726年)筑前守に任ぜら任国に下向。神亀5年(728年)頃までに大宰帥として大宰府に着任した大伴旅人とともに、筑紫歌壇を形成した。天平4年(732年)頃に筑前守任期を終えて帰京。天平5年(733年)6月に「老身に病を重ね、年を経て辛苦しみ、また児等を思ふ歌」を、また同じ頃に藤原八束が見舞いに遣わせた河辺東人に対して「沈痾る時の歌」を詠んでおり、以降の和歌作品が伝わらないことから、まもなく病死したとされる。
    歌風
    仏教や儒教の思想に傾倒していたことから、死や貧、老、病などといったものに敏感で、かつ社会的な矛盾を鋭く観察していた。そのため、官人という立場にありながら、重税に喘ぐ農民や防人に狩られる夫を見守る妻など社会的な弱者を鋭く観察した歌を多数詠んでおり、当時としては異色の社会派歌人として知られる。


    アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。


    ラインに 立体的に 描かれた宝石

    ラゴシェイプ ジノリには珍しいボーンチャイナ


    旧ジノリで 廃盤になりました。

    ハンドトランスファー 手工芸品にて 採算合わず。


    太巻きのゴールドライン

     本金は 古色が付きます。
    風格がある 古色は捨て難いのですが 軽く磨けば 元の金ピカになります。


    当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注しております。このお品も 特別ロゴ  のついた由緒正しきお品です。

    RG ジュエリー 21cp 0070 (4
    特別ロゴ


    リチャードジノリ社認知の世界の一流店のみに この特別制品が提供されております。一般店には普通のジノリロゴの製品です。しかし それすら一般店に 最早 新品はございません。


    類稀な 美貌と知性の女性は 鄙に生まれながら 自らの運命に従い 皇帝の妃に。
    生まれながら 王家の姫は 運命られし縁に 時の王妃へと。


    「悠久の歴史の中に埋もれし 英雄・姫妃との出会い」コチラをクリック してください。

    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。


    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。



  • リチャードジノリ 【ジュエリー】 兼用C/S  20%Off 
    リチャードジノリ 【ジュエリー】 兼用C/S  20%Off 
    20,736円

    本体価格: ¥24.000


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    金箔ボディージュエリー 2
    金箔ボディージュエリー  女性の美しさは 花に 蝶に 例えられ ついには宝石にも例えられるんですね。


    幸田露伴が下賀茂を読んだ「月天心 風水面や 川原の湯」「湯の村や 二月中旬 うり作り」
    子宝地蔵

    銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子に如(し)かめやも(『万葉集』巻5-803)



    宝


    瓜食めば 子供念(おも)ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ 何処(いづく)より 来たりしものぞ 眼交(まなかい)に もとな懸りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ(『万葉集』巻5-802)

    瓜食めば 子供念(おも)ほゆ

    憶良らは今は罷らむ子泣くらむ それその母も我を待つらむそ


    山上憶良(斉明天皇6年(660年)? - 天平5年(733年)?)は、奈良時代初期の貴族・歌人。名は山於 億良とも記される。姓は臣。官位は従五位下・筑前守。春日氏の一族にあたる皇別氏族の山上氏(山上臣)の出自とされる。山上の名称は大和国添上郡山辺郷の地名に由来するとされ、山於(やまのえ)とも記される。一方で日本文学界において万葉学者の中西進が、憶良は天智・天武両天皇の侍医を務めた百済人憶仁の子で、百済の滅亡に際して父親とともに日本に渡来、近江国甲賀郡山直郷に住み着いたことから山上氏を称するようになったが、次第に土地の有力氏族である粟田氏に従属し同族化していったとする説を唱えている。この説に対しては、青木和夫、佐伯有清が、歴史学の立場から批判を加えている。
    大宝元年(701年)第七次遣唐使の少録に任ぜられ、翌大宝2年(702年)唐に渡り儒教や仏教など最新の学問を研鑽する(この時の冠位は無位)。なお、憶良が遣唐使に選ばれた理由として大宝の遣唐使の執節使である粟田真人が同族の憶良を引き立てたとする説がある。


    いざ子ども(従者や舟子ら) はやく日本(やまと)へ 大伴の 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ(唐にて詠んだ歌)(『万葉集』巻1-63)


    遣唐使船
    遣唐使船
    八世紀の遣唐使船のうち全ての船が無事に往復できたのは、 只の一回だけでした。遣唐使船が四隻なのは、どれか一隻でも中国に着く ためだったのです。遣唐大使の任命を 出世より命と拒否する人もいたぐらいです。。「続日本紀」 日本から唐に渡った僧・栄叡、普照らから戒律を日本へ伝えるよう懇請された鑑真は5回もの失敗(出航に失敗も含む)の上 失明までして6回目に ついに来日 唐招提寺に戒壇を打ち立てました。遷化を惜しむ鑑真の弟子の忍基が作らせた日本最古の肖像彫刻(脱活乾漆像)国宝唐招提寺鑑真像のキリリと結ばれた口許からは 見る人をして大和上の強い意志の人を感じ要らせるでしょう。
    鑑真和上坐像
    国宝唐招提寺鑑真和上坐像 

    山上憶良 和銅7年(714年)  正六位下から従五位下に叙爵し、霊亀2年(716年)伯耆守に任ぜられる。養老5年(721年)佐為王・紀男人らとともに、東宮・首皇子(のち聖武天皇)の侍講として、退朝の後に東宮に侍すよう命じられる。
    神亀3年(726年)筑前守に任ぜら任国に下向。神亀5年(728年)頃までに大宰帥として大宰府に着任した大伴旅人とともに、筑紫歌壇を形成した。天平4年(732年)頃に筑前守任期を終えて帰京。天平5年(733年)6月に「老身に病を重ね、年を経て辛苦しみ、また児等を思ふ歌」を、また同じ頃に藤原八束が見舞いに遣わせた河辺東人に対して「沈痾る時の歌」を詠んでおり、以降の和歌作品が伝わらないことから、まもなく病死したとされる。

    歌風
      仏教や儒教の思想に傾倒していたことから、死や貧、老、病などといったものに敏感で、かつ社会的な矛盾を鋭く観察していた。そのため、官人という立場にありながら、重税に喘ぐ農民や防人に狩られる夫を見守る妻など社会的な弱者を鋭く観察した歌を多数詠んでおり、当時としては異色の社会派歌人として知られる。


    アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが 
    お熟成アインのは ピカピカの 新品です。


    ラインに 立体的に 描かれた宝石

    ラゴシェイプ ジノリには珍しいボーンチャイナ

    特別ロゴ

    旧ジノリで 廃盤になりました。

    ハンドトランスファー 手工芸品にて 採算合わず。


    「洋食器ーそれは交響楽(オーケストラ)です。」 詳しくは コチラをクリック してください。


    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。


    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。




    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。




  • リチャードジノリ・ジォカルティン 21cmプレート-1 20%Off
    リチャードジノリ・ジォカルティン 21cmプレート-1 20%Off
    12,096円
    本体価格: ¥14.000

    ジノリには珍しいボーンチャイナ 廃盤品
    絵はプリマクラッセ・デザイン 珍品中の珍品

    写真をクリックすると 1,2,3,4,5,6,が見られます。

    売り切れ
  • リチャードジノリ 【ジオカルティン】 兼用C/S 20%Off
    リチャードジノリ 【ジオカルティン】 兼用C/S 20%Off
    20,736円
    本体価格: ¥24.000


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    絵は プリマクラッセ・Alvieroマティーニ・デザイン 珍品中の珍品


    プリマ

     イタリアの人気ブランド『プリマクラッセ』  とは
    1990年代後半にモスクワにあるブラジル大使館の仕事に携わっていたデザイナーのアルヴェロ・マルティアーニは、書庫を整理していた際に偶然年代物の古地図を発見し、その美しさにヒントを得て、今や誰もが知る地図柄の革製品を考案しました。 セピア調の地図柄はシンプルで落ち着きのある柄でありながら、開拓心、冒険心を感じさせるデザインです。


    カップに書いてあるSeptentrioとは 北極星です。
    北極星
    星の明るさに「等級」という概念を初めて考え出したのは、紀元前二世紀ごろのギリシャ人であるヒッパルコスです。ヒッパルコスは、肉眼で見える星の中で最も明るく輝いている星を20個選び出しました。その20個を「1等星」、次に明るいと思われる星を「2等星」と決め、肉眼でかろうじて見える星を「6等星」とグループ分けしました。当時は望遠鏡などなく、肉眼で見える星が、宇宙に存在する全ての星でした。現代からすれば、いい加減なグループ分けに思えますが、実は現在の等級の基本になっています。
    特筆しておくことは、ヒッパルコスが選んだ明るい星20個はすべて恒星です。恒星より明るい惑星は含まれていません。
    突然19世紀まで飛んでしまいますが、観測技術が向上してくると星の明るさを数値的にしっかりと決める必要が出てきました。
    1850年ごろボグソンという人物が、数式によって定式化しました。この定式化の基礎となっているのは、「北極星を基準の1等星にして一等星は六等星の100倍明るい」と決めました。
    ボグソンが最初に定式化した時には「ヒッパルコスが選んだ20個の星の平均の明るさを1等星とする」としていたらしいのですが、「平均」というものが実にあいまいだったので、使いにくかったので そこで「北極星を2等星にする」と決めました。これなら「ある星の等級を調べたければ北極星と比較することで求められる」、という結論に達しました。
    しかしさらなる問題が起き上がったのです。基準の北極星が、明るさが変わる変更星だと判明したのです。今の観測技術ではその変光差はごくわずかだとわかっていますが、それでも変光星を基準にするわけにはいかないということになりました。大迷走の基準星選びの末 現在のジョンソン・モルガンシステムによる基準星 「こぐま座のラムダ星を6.5等星」にすることとなりました。


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    「洋食器ーそれは交響楽(オーケストラ)です。」

    そして それはヨーロッパ文化の論理的価値観の体現(具体的表現)にほかなりません。
    各々が 各々を 最善に主張しながら 全体の場を 相乗的に盛り上げます。
    洋食器は ヨーロッパの 論理的価値観が生み出した 交響楽 そのものです。
    洋食器店 そう呼べるのが アインです。
    なぜ アインが?
    それは まごうことなき洋食器が 所を得て キラ星の如くあるからです。
    作る人 商う人 購う人 この三者の 苦しくも 楽しき努力は 
    振舞われる人の いともたやすき理解 感嘆となるでしょう。
    オーケストラ それは洋食器です。
    されど洋食器の殿堂 それは黙して奏でます。
    美しき妖精達は 美しき日本の貴方の琴線に 触れずにはおかないでしょう。



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    イントラ - イタリア・ピエモンテ州ヴェルバーニアにある地名。分離集落である。
    フィネストレッレ城
    ヨーロッパ最大級の山岳要塞であるイタリア・ピエモンテ州トリノのフェネストレッレ要塞


    フィットネスイントラ

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    ラゴシェイプ
    ジノリには 珍しいボーンチャイナです。


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    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。


    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。



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    フィネストレッレ城
    ヨーロッパ最大級の山岳要塞であるイタリア・ピエモンテ州トリノのフェネストレッレ要塞


    フィットネスイントラ


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    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


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