カテゴリー

全件表示 (5298) 福袋 (12) 新入荷商品 (70) クリスマスフェア (115) お歳暮ギフトフェア (108) 祝 勤労感謝の日フェア (69) アウガルテン (89) アビランド (412) アラビア (4) ウェッジウッド (1174) エインズレイ (56) エルメス (143) クラダリング/クリスタルダルク (6) クリストフル (92) サルビアティ (59) ジョルジュボワイエ (26) スポード/ダッチェス (17) スワロフスキー (93) バカラ (267) ビレロイボッホ (8) ビングオーグレンダール (18) フッチェンロイター (60) ブルガリ・ローゼンタール (37) フュルステンベルグ (3) ヘキスト (22) ヴェルサーチ・ローゼンタール (48) ヘレンド (437) ボヘミア (66) ホヤ (18) マイセン (502) ミントン (44) メニュー(デンマーク) (7) ラリック (6) リーデル (5) リチャードジノリ (893) その他 (1) 赤にわとり/ オロディドッチア (7) アクアレール / ストレッサー (15) イントラ/ ジオカルティン/ ジュエリー/ デルフィー (9) アガサブルーフラワー (31) アマデウスジャーダー&ブルー (27) アマデウス・トリオンフォ・イタリアーノ (12) アマデウスの唄 ジャーダー (18) アマデウスの唄 トラメ (18) アマデウスの唄 ブルー (21) アラゴスタ/ フィッシュデコー (13) アンティックローズ (8) アンティコ・エデン/ チェリー/ ミレーラ (16) イタリアンシーン(フィレンツェ) (14) イタリアンフルーツ (30) インペロフルーツ (13) ベッキオフルーツ(ペルージャ)/ ヴァル・ド・オルチャ (13) イヤー/ ナタールプレート (5) インペロカメリア (15) インペロジュリエッタ (18) インペロスカラ (8) インペロダイヤモンド (3) インペロミストラル (16) インペロメッシュ(ポルトフィノ) (5) インペロイェロー (12) インペログリーン (12) インペロブラック (21) インペロブルー (9) インペロロッソ (12) インペロ色々 (16) エルバ/ カプリ (7) オリエントエクスプレス (7) ガーデンローズ (8) カポデモンテ (4) カラーコレクション (2) グランデューカ (12) クリッパー (16) サボイア家 森の果実 (1) サンタマルガリータ/ 手作りの花 (2) ジオポンティ・ファンティニ・フィグレ・ムーゼ (4) ジャルディーノブルー (6) ジュビレオコレクション (22) シリウス座/ ヌヴォラアイリス (17) ヅッカ/ ボルドオロ (2) トスカーナ (13) パールブルー (2) ピノキオ (2) ピンク・ブルーのチューリップ/ りんごの花 (11) ファルダ / インテリアデザイン (7) ファルファッレフィオリータ (2) プリマヴェーラ (6) プリンセスローズ (11) ベッキオ・グレース (8) ベッキオ・ジェンマ(翡翠) (19) ベッキオ・フィオーリ(レバント) (11) ベッキオ・ホワイト (96) ベネチアンローズ (7) ボルドーブルー (10) ホワイトアイリス (2) ホワイト・アンティコ/ デダロ/ ヴェラ/ ラゴ (4) ボンジョルノストロベリー (3) ボンショルノチェリー (15) ボンジョルノプルーン (14) マルコポーロ・ブルー/ レッド (4) ミュージオ・クラシコ (16) ミュージオ・パストラーレ/ フィオッコ (14) ミュージオ・ドッチア/ ローマ (2) ミュラレス(壁画)  (1) メダイオン (20) ラベロ (36) ローズブルー (17) ロイヤルブルー (6) ロゼリーニ (6) リヤドロ (78) レイノー (5) ローゼンタール ロイヤルアルバート (64) ロイヤルウースター (27) ロイヤルクラウンダービー (21) ロイヤルコペンハーゲン (434) ロイヤルドルトン (37) ロイヤルベルリン・KPM (8)

リチャードジノリ > ヅッカ/ ボルドオロ

輸入洋食器店アイン お宝倉庫
大阪市にある洋食器、輸入食器専門店のアイン
ウェッジウッド、マイセン、バカラ、ロイヤルコペンハーゲンなど
様々な食器を販売しております
  • リチャードジノリ 【ヅッカ】  ティーC/S 20%Off
    リチャードジノリ 【ヅッカ】  ティーC/S 20%Off
    10,368円

    本体価格:¥12.000


    小さい写真をクリックすると 拡大写真が見られます。 


     
    (グッチ)ジノリより新作 売り切れ 再入荷しました。何と 原価75%です。

    ハロウィンとは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、
    ジャック・オー・ランタン
    ジャック・オー・ランタン
    子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。
    キリスト教の祭ではない。ハロウィンに対してはキリスト教からは容認から批判まで様々な見解がある。
    ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は夏の終わりを意味し、冬の始まりでもあり、死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていた。時期を同じくして出てくる有害な精霊や魔女から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。これに因み、31日の夜、カボチャ(アメリカ大陸の発見以前はカブが用いられた。)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタンを作り、魔女やお化けに仮装した子供たちが近くの家を1軒ずつ訪ねては トリック・オア・トリート「お菓子をくれないと悪戯するよ」または「いたずらか、お菓子か」)」と唱える。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちはもらったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティを開いたりする。お菓子がもらえなかった場合は報復の悪戯をしてもよい「トリック・オア・トリート」。
    カトリック教会の諸聖人の日がハロウィンに重なる形で設定されており、これを「カトリック教会が(キリスト教からみて)異教の祭を取り込んだ」とする見解と、「カトリック教会が(キリスト教からみて)異教の祭を潰すために設定した」とする見解とがある。いずれにしてもハロウィンは元々キリスト教の祭では無かったことが両見解の前提となっている。
    ハロウィーン

    サムハインからハロウィーンまで
    古代ケルトのドルイドの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサムハイン祭であった。この収穫祭は毎年現在の暦で言えば10月31日の夜に始まった。アイルランドと英国のドルイド祭司たちは、かがり火を焚き、作物と動物の犠牲を捧げた。また、ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まった。11月1日の朝が来ると、ドルイド祭司は、各家庭にこの火から燃えさしを与えた。各家族は、この火を家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、悪いシー(ケルト神話の妖精。バンシーは女の妖精)などが入らないようにする。1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからである。祭典ではかがり火が大きな役割を演じた。村民たちは、屠殺した牛の骨を炎の上に投げ込んだ。かがり火が燃え上がると、村人たちは他のすべての火を消した。その後、各家族は厳粛にこの共通の炎から炉床に火をつけた。
    サムハイン
    サムハインからハロウィーンまで
    従来、ローマ人は11月1日頃に果実・果樹・果樹園の女神でリンゴをシンボルとしていた女神ポーモーナを讃える祭りを祝っていたと考えられており、紀元1世紀にブリテン島に侵入した以降はケルト地域にポーモーナの祭りをもたらしたと言われていた。
    ハロウィンの行事としてダック・アップル(リンゴ食い競争)が行われるのはその由縁からと考えられ、またハロウィンのシンボルカラーである黒とオレンジのうち、オレンジはポーモーナに由来するとの説がある。また古代ローマの祖霊祭パレンタリアからの影響も指摘されている。ハロウィンの習慣は、イングランド南部では17世紀以降、11月5日の火薬陰謀事件の記念日(ガイ・フォークス・ナイト)に置き換わり、廃れた。しかしながら、スコットランド・アイルランド・マン島・ウェールズでは引き続き広く普及していた。
    ハロウィンがアメリカの年鑑に祝祭日として記録されたのは19世紀初頭以降のことである。ニューイングランドのピューリタンなどはハロウィンに強く反対する立場であり、19世紀になりアイルランドおよびスコットランドから大量に移民が到着するまでは、ハロウィンが本格的に定着することはなかった。ハロウィンは19世紀半ばまで特定の移民共同体の内でだけの行事として行われていたが、徐々にアメリカの「主流社会」に受け容れられるように、20世紀初頭には、社会的、人種的、宗教的背景に関係なく、アメリカのほとんどの人々に受け入れられ、東海岸から西海岸へ広まった。そして、世界各国で軍事的・経済的に活動するアメリカ人が増えるのにともない、そうした場所で、アメリカ風のハロウィンの風習も広がることになった。

    もう一人の遣欧使節 支倉 常長
    支倉 常長は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。桓武天皇を祖先とする血筋でありながらも伊達氏の家臣として活躍。慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、アジア人として唯一無二のローマ貴族、及びフランシスコ派カトリック教徒となった。洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ。
    「支倉常長像」 17世紀 アルキータ・リッチ筆
    「支倉常長像」 17世紀 アルキータ・リッチ筆(ボルゲーゼ宮保管)
    慶長14年(1609年)、前フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行(サン・フランシスコ号)がヌエバ・エスパーニャ副王領(現在のメキシコ)への帰途台風に遭い、上総国岩和田村(現在の千葉県御宿町)の海岸で座礁難破した。地元民に救助された一行に、徳川家康がウィリアム・アダムスの建造したガレオン船サン・ブエナ・ベントゥーラを贈りヌエバ・エスパーニャ副王領へ送還した。この事をきっかけに、日本とエスパーニャ(スペイン)との交流が始まった。
    こうしたエスパーニャとの交流ができたことにより、常長の主君である独眼竜伊達政宗はヨーロッパに遣欧使節を送ることを決定した。遣欧使節はエスパーニャ人のフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを副使とし、常長は正使となり、180人から組織され、エスパーニャを経由してローマに赴くことになった。遣欧の目的は通商交渉とされているが、エスパーニャとの軍事同盟によって伊達政宗が倒幕を行おうとした説も存在している。
    慶長17年(1612年)、常長は第一回目の使節としてサン・セバスチャン号でソテロとともに浦賀より出航するも、暴風に遭い座礁し遭難。再度 座礁したサン・セバスチャン号を譲り受けて修理し、ガレオン船サン・ファン・バウティスタ号として 慶長18年(1613年10月28日)に月ノ浦(現・石巻市)を出帆した。
    慶長20年(1615年1月30日)にはエスパーニャ国王フェリペ3世に謁見している。その後、元和元年(1615年11月3日)にはローマ教皇パウルス5世に謁見した。また、その後もマドリードに戻ってフェリペ3世との交渉を続けている。
    しかし、エスパーニャやローマまで訪れた常長であったが、この時すでに日本国内ではキリスト教の弾圧が始まっており、そのこともあって通商交渉は成功することはなかった。常長は数年間のヨーロッパ滞在の後、元和6年(1620年9月20日)に帰国した。
    こうしてはるばるローマまで往復した常長であったが、その交渉は成功せず、そればかりか帰国時には日本ではすでに禁教令が出されていた。そして、2年後に失意のうちに死去した。


    (グッチ)ジノリより新作 再入荷しました。何と 原価75%です。 


     リンジー・ローハン(1986年7月2日 - )は、アメリカ合衆国の女優、歌手。以前は「リンゼイ・ローハン」と表記されていたが、日本でのCD発売に際し、「リンジー・ローハン」に統一された(彼女の代表作『フォーチュン・クッキー』までは「リンゼイ」となっている)。
    身長165cm。20才代前後の頃にアメリカで人気アイドル女優として一斉風靡したが、私生活での素行の悪さが祟りゴシップ誌の常連になり、次第に女優としての信用も美貌も失い仕事も低調になり、近年では人気が下降しゴシップ誌にすら取り上げられる機会が減り、すっかり人気が落ちてしまっている。
    リンジー・ローハンリンジー・ローハン2
    コインが恥ずかしいから隠しているの?    南瓜に負けない立派なボインです。

    月亭可朝の「嘆きのボイン」
    1.ボインは 赤ちゃんが吸うためにあるんやで お父ちゃんのものと違うのんやで
      ボインというのは どこの国の言葉 うれしはずかし 昭和の日本語

    2.おっきいのんが ボインなら ちっちゃいのは コインやで もっと ちっちゃいのんは ナインやで

    3.何で 女の子だけボインになるのんけ 腹の立つこと 嫌なこと しゃくな出来事あった日は 
      男やったら酒飲んで 暴れまわって憂さ晴らし
      女の子なら何とする 胸にしまってガマンする 女の子の胸の中 日頃の不満がたまってる
      それがだんだん充満してきて 胸がふくれてくるんやで

    4.上げ底のボインは 満員電車に気をつけとくなはれや 押されるたんびに 移動する
      いつの間にやら 背中へ回り 一周回ってもとの位置
      これがホンマの「チチ帰る」やおまへんか こらホンマやで


    シンデレラは、童話の一つ。また、その主人公。仏語で『サンドリヨン』。和名は『灰かぶり姫』あるいは『灰かぶり』。
    グリム兄弟によるアシェンプテルが知られている。日本の落窪物語や、中国にも楊貴妃がモデルと言われる掃灰娘などの類話があるなど、古くから広い地域に伝わる民間伝承である。日本ではシャルル・ペロー版が有名である。
    児童向け作品として絵本・アニメなど様々な形で公表されている。


    <ペローの童話「サンドリヨン」>

    昔々、シンデレラ(灰かぶり)と呼ばれている美しく心の優しい娘がいました。本当は貴族の娘なのですが、意地悪な継母とその連れ子である二人の義理の姉にその美しさを妬まれ、まるで召使のように扱われていました。娘は 夜は屋根裏部屋の藁布団で寝て、昼は仕事を済ませると かまどの側に座って、日がな薪を燃やしたり灰をかき出したりしていました。おかげで灰まみれで、継母や義姉妹に灰だらけの尻キュサンドロンと呼ばれて嘲笑われていました。ただし、一番心の優しい下の姉だけは、彼女を灰かぶりサンドリヨンと呼びました。
     ある時、この国の王子様が舞踏会を催すことになり、二人の義理の姉は着飾って出かけました。シンデレラも行きたかったのですが、もちろん連れて行ってもらえません。一人になると、悲しくなったシンデレラは泣き出してしまいました。
     すると、シンデレラの名付け親である仙女が現れて魔法の杖を振り、舞踏会へ行けるように、素敵な支度を整えてくれました。美しいドレス、かぼちゃ から作った豪華な馬車。そして、燦然ときらめくガラスの靴。

    シンデレラ かぼちゃの馬車
    おしまいに仙女は1つ注意を与えました…12時を過ぎれば馬車もドレスも元の粗末な姿に戻ってしまうから、必ず12時までには舞踏会を出るようにしなさい…。シンデレラは、きっとご注意を守ります、と約束して、大喜びで舞踏会へ出かけました。
     さて、舞踏会に着いた美しいシンデレラは、たちまちみんなの注目の的となりました。王子様もシンデレラに魅了され、踊りに誘って愛の言葉をささやきました。そうして夢のような時間を過ごしているうちに、シンデレラは時の経つのも忘れてしまいました。
     気がつくと、時計が12時を打ち始めています。仙女との約束を思い出したシンデレラは駆け出しました。まだシンデレラがどこの誰だか聞いていなかった王子様は引き留めようとしましたが、シンデレラはあっという間に消えてしまいました。後にはシンデレラが履いていた美しいガラスの靴が片一方だけ取り残されていました。


    夢みるガラスの靴 - コピー夢みるガラスの靴
    王子様は何とかしてあの舞踏会の女性を探し出そうと、おふれを出しました。ガラスの靴がぴったり合う女性を自分の妻にするというのです。身分の高い女性から次々にガラスの靴を試してみましたが、ガラスの靴がぴったり合う女性は誰もいませんでした。
     そしてシンデレラの義理の姉たちの番になり、姉たちは何とかしてガラスの靴を履こうと無理をしましたが、無駄でした。そこへシンデレラが進み出て、王子様のお使いに、私にも試させていただけませんか、と言いました。義理の姉たちは、召使風情が何を言うの、と大笑いしましたが、王子様の命令はすべての娘に試させるように、というものでしたので、お使いはシンデレラにも履かせてみました。するとガラスの靴はまるであつらえたようにぴったりでした。シンデレラはもう片一方をポケットから取り出して履きました。
     お使いは、この方こそ王子様の探しておられた女性だ、と言って、シンデレラをお城へ連れていきました。王子様はたいそう喜び、数日後にシンデレラと結婚式をあげました。心優しいシンデレラは、今までの意地悪を詫びた義理の姉たちを許し、たいそう親切に遇した、ということです。


    イタリアントマト ズッカ
    Zucca ヅッカ イタリアン(南瓜)トマト


    プラチナ彩のナローバンドが 華やぎに 清楚な貴賓を加味しております。


    ベッキオシェープ バロック
    ベッキオとは 古い伝統の という意味です。今でこそ ベッキオシェイプは ジノリの十八番と なっておりますが 洋食器ファンの ご明察どおり 昔から たくさんの 銘窯で焼かれており マイセン(#02)や ロイヤルコペンハーゲン(カーブ) ヘレンド(ロカイユ)等でも 現在まで 継続 存在しており 慣れ親しまれたシェイプです。


    ポンテ
    バロック ポンテ ベッキオ


    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。

    次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。


    ジノリ カポデモンテ ナポリ窯 の真贋について

    スペイン・ブルボン家のカルロス王子・パルマ公(1716年 - 1788年)は ポーランド継承戦争(1733年 - 1735年)が起こると、フランス王ルイ15世の支援を受け、兵を集めて1734年、オーストリア領シチリアとナポリを占領した。南イタリアは 13世紀から代々スペイン領であったが、先のスペイン継承戦争(1701年 - 1713年)でオーストリアに 奪われた土地であった。1735年 ナポリ王、シチリア王(在位:1735年 - 1759年)に即位してカルロ7世およびカルロ5世となる。当時、ナポリとシチリアは 別々の王国として扱われたが、実質的にはこの時 両シチリア王国が成立したといえる。1738年、ザクセン選帝侯兼ポーランド王アウグスト3世の長女マリア・アマリア・フォン・ザクセン(神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の孫でもある)と結婚した。彼女は王に愛され 生涯にわたり13人の子をなすのですが 初めの40,42年の2人の娘は 喜びも束の間に夭折します。1743年 3人目の娘が無事に生まれ 喜びの中 マリア・アマリアは 磁器王女(マイセン創窯のアウグスト強襲王・ポーランド王の孫娘)に相応しいカポディモンテ窯を創設させました。(蝶よ花よと育てられたこの姫も6歳にしてなくなるのですが 前年には後継ぎのカルロス4世を儲けております。更に前年の長男フェリペは 病により継承辞退。)
    1759年、カルロスは 異母兄フェルナンド6世の死去によりスペイン王即位の為、スペインに帰国し カルロス3世に就く。カルロス3世は、ブルボン朝のスペイン王(在位:1759年 - 1788年)スペインの啓蒙専制君主と言われる。帰国に際し、カポディモンテ窯はモールドは 勿論 職人も含めて、総てを スペインのBuen Retiro (1808年まで生産が続けられた。)に譲渡されました。両シチリア王国の王位は 8歳の三男フェルナンド(フェルディナンド1世)に譲られた。


    1771年 王妃マリア・カロリーナ ナポリ窯創設の根拠。

    フェルディナンド1世(1751年 - 1825年)は、両シチリア王国の最初の王(在位:1815年 - 1825年)。シチリア王としてはフェルディナンド3世(在位:1759年 - 1815年)、ナポリ王としてはフェルディナンド4世(在位:1759年 - 1806年、1815年)を名乗っていた。
    スペイン王カルロス3世とマリア・アマリア・フォン・ザクセンの三男、カルロス4世の弟。妻は神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの娘でフランス王妃マリー・アントワネットの姉であるマリア・カロリーナである。
    マリア・カロリーナ
    当初はフランス王ルイ16世との縁組みが考えられていたが、ナポリ王と婚約していたすぐ上の姉マリア・ヨーゼファが1767年、結婚直前に急死したため、翌1768年に急遽マリア・カロリーナがナポリのフェルディナンド4世へ嫁ぐことになった。突然の結婚に、同じ部屋で暮らし非常に親しかった妹マリア・アントーニア(マリー・アントワネット)は大変悲しんだという。
    婚前の約束から、政治に興味を持たなかった夫フェルディナンドに代わって政治の実権を握った。長きにわたって続いたスペインの政治的干渉からナポリ王国を解放し、前国王時代から政治を牛耳っていたベルナルド・タヌッチを追放、兄レオポルト2世にならい士官学校を作り、軍隊の再編をしている。また、多くの子にも恵まれ、母マリア・テレジアに最も似た人生を送った。軽率なマリー・アントワネットではなくマリア・カロリーナが当初の予定通りフランス王妃となっていたら、歴史は大きく異なっていたと言われている。

    フェルディナンド1世は アウグスト強襲王(強精と強力は 夙に有名で 両手で 馬の蹄鉄をへし折って 驚く人にご満悦)血筋ゆえか 体力に恵まれ性格も非常に善良であったが、王族としての正式な教育を受けておらず、若い頃から重要な書類には家臣に自分のサインのスタンプを押させ、自らは狩りやスポーツに明け暮れた。性格が正反対と言ってもいいマリア・カロリーナ妃が嫁ぐとすぐに妃に夢中になった。妃からは教養の無さや行儀作法の悪さを「かわいいおばかさん」と呼ばれていた。しかし夫婦仲は良好であり、子に恵まれ家庭生活は幸せなものであった。結婚時の約束の一つに、妃が王子を産めば摂政になれるという約束があり、王子誕生後は政治的実権は完全にマリア・カロリーナが握っており、フェルディナンドは狩りや社交に徹していた。
    フェルディナンド1世は女性の手、特に手袋をした手を偏愛しており、マリア・カロリーナは何か頼みごとがある時は長手袋の手をすっと彼に差し出していた。フェルディナンドはうっとりとし、何でも妃の願い事を聞いたという。
    庶民の食べ物であった細打ちのパスタ(いわゆるスパゲティ)を気に入り、宮廷で供するよう命じたが、当時スパゲティは手づかみで食べるものであり、マリア・カロリーナから下品であると反対された。このことからパスタを食べるための道具としてフォークが採用されたという。1820年のカルボナリによって引き起こされたナポリ革命後は妃の故里ウィーンに亡命。晩年はアブルッツォやリエーティで暮らし、ナポリで亡くなった。


    ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」


    当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
    1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
    特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。


  • リチャードジノリ 【ボルドオロ】 マイタイム(ティーC/S+20, 27cmプレート) 40%Off
    リチャードジノリ 【ボルドオロ】 マイタイム(ティーC/S+20, 27cmプレート) 40%Off
    34,992円

    本体価格: ¥54.000


    ティーC/S+20,27cmプレート

    小さい写真をクリックすると 拡大写真が見られます。


    お熟成価格は 安くて美味しい。お熟成ワインは ボージョレヌーボーより美味しいですが プレミアムが付いた分 高くなる。何故 お熟成アインは 安くなるんですか
    ? お熟成のプレミアムも お客様に差し上げているからです。 


    18年前 ヨーロッパ最大のドイツの リチャードジノリ代理店が代理店契約終了に当たり 在庫の処理を巡り リチャードジノリ社とトラブっておりましたので アインが 40フィートコンテナ2本分の在庫を引き受けました。超一流店として アインに足らざるブランド洋食器300年の歴史と伝統を買いました。

    以来 グッチジノリになるまで 当店は 直接 フィレンツェ本店から仕入れをしておりました。


    ジュゼッペ・アルチンボルド(1527年 - 1593年)は、イタリア・ミラノ出身の画家。マニエリスムを代表する画家の1人とされる。静物画のように緻密に描かれた果物、野菜、動植物、本などを寄せ集めた、珍奇な肖像画の製作で世に知られる。
    「ウェルトゥムヌスに扮したルドルフ二世」。アルチンボルド
    ルドルフ二世
    最晩年の作品「ウェルトゥムヌスに扮したルドルフ二世」。ウエルトゥムヌスは庭園や四季の移り変わりをつかさどるローマの神。その名にふさわしく果物、花、野菜で描かれた神聖ローマ皇帝の肖像画。モデルとなったルドルフ二世はこの作品に大満足し、アルチンボルドを貴族に列しました。
         


    アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの新品です。 



    フィロボルド 
    フィロ             ボルド


    旧伊名 フィロ・オロ

    新伊名 ボルド・オロ


    ダチェッサシェィプ ボーンチャイナ

    RG ボルドオロ ロゴ
    ボーンチャイナ・旧ロゴ


    象牙を思わす 優しく 貴賓ある白磁

    厚い金彩が よく映えて 威厳さえ感じます。


    『 白磁の美しさ ここに極まれり!!徳とご堪能あれ!!!』


    20cmプレート 13000→10.400円(本体価格)

    RG ボルドオロ 20cp 0060 (1)

    27cmプレート 21000→16.800円(本体価格)

    RG ボルドオロ 27cp 0125 (1)

    ティーC/S  20000→16.000円(本体価格) 
    RG ボルドオロ ティー 2990 (1)
               

    本金は 古色が付きます。
    風格がある 古色は捨て難いのですが 軽く磨けば 元の金ピカになります。


    イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。
     次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。
     当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年ごろからリモージュのカオリンを 用いることで 完璧な白磁を完成させております。
    1834年には スペイン王カルロ3世の カポデモンテ窯の 閉窯に際し モールド類を引き取り 以後 ジノリが カポデモンテを引き継いでおります。(カポディモンティ窯とジノリについては ジノリ社の主張に 俄かに信じ難きことあり もっと検証後に)
    1869年には リチャード社を 合併して 今の リチャードジノリ社になりました。
     特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して 新しい 芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。                                                                                                                   

1

(カテゴリー内:2点)

カートの中身

カートに商品は入っていません

商品検索