ロイヤルベルリン・KPM

輸入洋食器店アイン お宝倉庫
大阪市にある洋食器、輸入食器専門店のアイン
ウェッジウッド、マイセン、バカラ、ロイヤルコペンハーゲンなど
様々な食器を販売しております
  • ロイヤルベルリンKPM・ベースコレクション リデン・ブーケ 25%Off
    ロイヤルベルリンKPM・ベースコレクション リデン・ブーケ 25%Off
    972,000円

    本体価格: ¥1.200.000

    1799年 ヨハン・カール・フリードリヒ・シンケル原作 

    古代ギリシヤの陶工 エキセキアスによる萼(calyx)型クラテールを原型とし リデン伯爵のイメージをデザイン化したもの
    1991年 復刻版 H33cm

    KPMとは 王立磁器窯 (キングス ボースレイン マヌュファクトリー)
    今でこそ KPMといえば ロイヤルベルリンとイコールですが 
    本来 マイセンや フュルステンブルグや ニュンヘンブルグ等も 
    王立磁器窯ですから KPMを 名乗っておりました。

    1763年 7年戦争 戦勝終結の年 フリードリヒ大王は ロイヤル・ベルリン窯を 設立しました。荒廃した国家再興に 大王は 美術磁器の 制作に 自ら携わり ジャーマンロココを確立し 巨利を得たのです。ビーダーマイヤー時代には カール・フリードリヒ・シンケルを得て 窯は 時のリーダーとして 名声は上る一方でした。それは セーヴルと共に マイセンをしのぐ勢いでした。
    その後も アールヌーヴォー期には ユーゲント・シュティルを確立し 造型・装飾において他の追随を許さぬほどの 銘窯となりました。今も昔変わらぬ 全工程手作りを一貫しております。


  • ロイヤルベルリンKPM・ベースコレクション フローラ双鳩文 25%Off
    ロイヤルベルリンKPM・ベースコレクション フローラ双鳩文 25%Off
    97,200円
    本体価格: ¥120.000

    1933年 ジークムント・シュッツ原作 
    原画は ユーゲント・シュティル(アールヌーヴォー)の旗頭 ジークリート・フォン・ウンルーによる
    1991年 復刻版 H25cm
  • ロイヤルベルリンKPM 【復刻ベースコレクション】 金銀綿菅文 H27cm 25%Off
    ロイヤルベルリンKPM 【復刻ベースコレクション】 金銀綿菅文 H27cm 25%Off
    56,700円

    本体価格: ¥70.000


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    ユーゲント・シュティール は、フランス・ベルギーのアール・ヌーヴォーに対応する言葉で、ドイツで刊行された美術雑誌『ユーゲント』に由来し、ドイツ圏の世紀末芸術の傾向を指す語について説明しています。広義のアール・ヌーヴォーと同じ意味の言葉でアーツ・アンド・クラフツ運動以降の世紀末美術、ガウディの建築など世紀末を中心とした各国の美術の傾向を総称する用語は「アール・ヌーヴォー」に詳しい。
    ユーゲント・シュティール 1896年に刊行された雑誌『ユーゲント』に代表されるドイツ語圏の世紀末美術の傾向を指す。「青春様式」と表記されることもある。19世紀末から20世紀の初頭にかけて展開し、絵画や彫刻のほかにも、建築、室内装飾、家具デザイン、織物、印刷物から文学・音楽などに取り入れられた。
    19世紀末頃になると新古典主義などに代表される歴史回帰・折衷様式は「悪趣味」と言われるようになり、芸術家たちはそれまでにない新しいスタイルを求めるようになった。フランツ・フォン・シュトゥックらによって1892年にミュンヘン分離派が結成され、旧来の芸術を批判し新たな芸術を志向する活動が展開される。この運動はその後ベルリンやオーストリアにも波及し、ウィーン分離派(1897年結成 グスタフ・クリムトら)やベルリン分離派(1899年結成)の活動につながった。
    当時ドイツ世紀末芸術の中心地であったミュンヘンで刊行された『ユーゲント』は、イラストレーションの多い大衆的な雑誌であった。石版刷りの斬新な表紙や都会的で若々しい感覚のイラストレーションが評判になり、爆発的成功を収めた。ここから「ユーゲント・シュティール」(青春様式)という言葉が生まれた。やがてミュンヘンやベルリンを中心にした若い芸術家による芸術運動の傾向全体を指して「ユーゲント・シュティール」と呼ぶようになった。
    1899年には、ヘッセン大公であったエルンスト・ルートヴィヒの招聘によりダルムシュタットに芸術家村「マチルダの丘」が形成され、ドイツ語圏におけるユーゲント・シュティール運動の中心的役割のひとつを担った。
    ユーゲント 雑誌2
    美術雑誌 『ユーゲント』
    アール・ヌーヴォーという言葉はパリの美術商、サミュエル・ビングの店の名前から一般化した。この言葉で狭義にベル・エポックのフランスの装飾美術を指す場合と、広義にアーツ・アンド・クラフツ以降、世紀末美術、ガウディの建築までを含めた各国の傾向を総称する場合とがある。国によって次のようにも呼ばれているが、これらの様式の大部分にはそれほど大きな違いはない。 「ティファニー」(アメリカ合衆国。ルイス・カムフォート・ティファニーの名による)、「ユーゲント・シュティール(ドイツ。雑誌『ユーゲント』から)、「ウィーン分離派」(オーストリア)、「ネーウェ・クンスト」(オランダ)、「スティレ・リベルティ」(イタリア。リバティ百貨店から)、「モデルニスモ」(スペイン)、「スティル・サパン」(スイス)、「スティル・モデルヌ」(ロシア)、「モダン・スタイル」(イギリス)など。フランスでは、アール・ヌーヴォーは批判者からは、特徴的なアラベスクなフォルムから「ヌイユ様式」(麺類様式)、またエクトール・ギマールにより1900年に実現されたパリ地下鉄のこの様式の出入口から「メトロ様式」などとも呼ばれた。
    グラッセ「三人の女と三匹の狼」
    グラッセ「三人の女と三匹の狼」
    ウジェーヌ・グラッセはスイス生まれのデザイナー。パリの華やかな、いわゆるベル・エポック(良き時代)に、特にポスターのデザインで活躍した。モダンで流麗な装飾性は、アール・ヌーヴォーの代名詞、ミュシャにも影響を与えたという。
    アール・ヌーヴォーは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐にわたった。
    第一次世界大戦を境に、装飾を否定する低コストなモダンデザインが普及するようになると、アール・デコへの移行が起き、アール・ヌーヴォーは世紀末の退廃的なデザインだとして美術史上もほとんど顧みられなくなった。しかし、1960年代のアメリカ合衆国でアール・ヌーヴォーのリバイバルが起こって以降、その豊かな装飾性、個性的な造形の再評価が進んでおり、新古典主義とモダニズムの架け橋と考えられるようになった。ブリュッセルやリガ歴史地区のアール・ヌーヴォー建築群は世界遺産に指定されている。

    1880年 時代は アール・ヌーヴォーですが バロック時代の シノワズリです。
    中国壷
    中国壷
    1880年 原作者不詳 中国壷をモデルに 1991年 復刻版 H27cm
    京都にあった代理店さんが廃業のおり 当店が憧れのKPMを割愛いただきました。
    このベース は 1991年 某有名百貨店で開催された「KPMベースコレクション」に復刻された選りすぐりのものです。

    KPMとは 王立磁器窯 (キングス ボースレイン マヌュファクトリー)
    今でこそ KPMといえば ロイヤルベルリンとイコールですが 本来 マイセンや フュルステンブルグや ニュンヘンブルグ等も 
    王立磁器窯ですから KPMを 名乗っておりました。

    KPM は、今日でも工場制手工業である。すべての磁器(食器セットとフィギュア)は、手作りで装飾画はフリーハンドで描かれている。

    復刻作家サインロゴ 
    KPM 金銀草花(ウラ)
    製品マークは、選帝侯ブランデンブルクの紋章からきているコバルトブルーの 王の笏がすべての製品に付けられている。更にすべての装飾されたKPMの磁器は、絵職人のマークと絵付けマークが描かれている。

    1763年 7年戦争 戦勝終結の年 フリードリヒ大王は ロイヤル・ベルリン窯を 設立しました。荒廃した国家再興に 大王は 美術磁器の制作に 自ら携わり ジャーマンロココを確立し 巨利を得たのです。

    欧州磁器戦争史 KPM(王立窯) ロイヤル・ベルリン-1,2,の詳細 はこちらをクリック
    ウェッジウッド 1,2, リチャードシノリの次にあります。



  • ロイヤルベルリンKPM 【ベースコレクション】 トランペット金彩ブーケ  H18.5cm 25%Off
    ロイヤルベルリンKPM 【ベースコレクション】 トランペット金彩ブーケ  H18.5cm 25%Off
    36,450円

    本体価格: ¥45.000

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    銀器と花のある静物(ヴァルトミュラー、1840年作)
    「銀器と花のある静物」 (ヴァルトミュラー、1840年作)
    フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー(1793-1865年)は19世紀のウィーンで活躍した画家・作家。ウィーンのビーダーマイヤー期を代表する画家である。ヴァルトミュラーは、肖像画の他、風俗画、静物画、そして風景画のどの分野でも卓越した技量をしめした。「綿密な自然研究が絵画の基礎である」という信念に基づく、細部まで非常に緻密でリアリスティックな画面と鮮やかな色彩が彼の絵画の特徴である。

    1815年 ウィーン会議締結後 平和な30年ウィーン体制・王制(1848年革命・反王制により 体制崩壊)が このピーターマイヤー様式を 花咲かせました。
    「高貴なる素朴と静かな 偉大さ」を求める動きが啓蒙の芸術的創造を決定します。ともかく新古典主義はオーストリアでは、フランスのアンピール様式のような豊富な形態とはならず、 むしろ上品で簡素な変種となり、これがほとんど段階を踏むことなくビーダーマイヤー様式に移行していきます。
    ピーターマイヤー(架空の人物 ビーダーマンとブンメルマイヤーの造語、「愚直な人」との意) ドイツの判事アイヒロットによる 1850年のドイツ風刺週刊誌に登場する、架空の小学校教員 ゴットリープ・ビーダーマイヤー由来。小説の小市民ビーダーマイヤーは 政治や 国際情勢 などに無関心。家庭の団欒や身の回りの食器や家具などに関心を持ち 心地よい簡素を好み  華美な装飾を 揶揄した。

    ビーダーマイヤー 市民革命 主に独墺圏に生まれた市民文化 。フランス革命後 生まれた市民社会は ナポレオン台頭による王政復古へとなっていく中で  閉塞社会に戻る息苦しさから 市井の人達の諦念に生まれた 観念的なものを捨て 日常的  簡素に美を求めた様式

    カール・フリードリッヒ・シンケル(1781年 - 1841年)は、18世紀ドイツの新古典主義建築を代表するプロイセン王室の建築家である。ベルリンなどの都市計画・設計においても活躍した。画家、磁器工芸家 舞台美術家としても知られる。
    カール・フリードリッヒ・シンケル オペラ『魔笛』より『夜の女王の星の間』(1815)
    カール・フリードリッヒ・シンケル オペラ『魔笛』より『夜の女王の星の間』(1815)

    1820~30年 カール・フリードリヒ・シンケル(ビーダーマイヤー時代の旗頭)原作
    すべての時代様式の中で重要な芸術家は、KPMのために花瓶をデザインした。それらの多くはクラシックなものでも時代を感じさせない。新古典主義の時代から多くの花瓶のデザインは、カール・フリードリヒ・シンケルに由来する。1818年に生まれたトランペット型の花瓶や1820年に生まれたFidibusフィディブス型花瓶がある。
    1818年頃 原作ー1991年 復刻版  H18.5cm
    京都にあった代理店さんが廃業のおり 当店が憧れのKPMを割愛いただきました。
    このベース は 1991年 某有名百貨店で開催された「KPMベースコレクション」に復刻された選りすぐりのものです。


    KPMとは 王立磁器窯 (キングス ボースレイン マヌュファクトリー)
    今でこそ KPMといえば ロイヤルベルリンとイコールですが 本来 マイセンや フュルステンブルグや ニュンヘンブルグ等も 
    王立磁器窯ですから KPMを 名乗っておりました。

    KPM は、今日でも工場制手工業である。すべての磁器(食器セットとフィギュア)は、手作りで装飾画はフリーハンドで描かれている。

    KPM トランペット 40532699ウラ
    作家サインロゴ 
    製品マークは、選帝侯ブランデンブルクの紋章からきているコバルトブルーの 王の笏がすべての製品に付けられている。更にすべての装飾されたKPMの磁器は、絵職人のマークと絵付けマークが描かれている。

    1763年 7年戦争 戦勝終結の年 フリードリヒ大王は ロイヤル・ベルリン窯を 設立
    しました。荒廃した国家再興に 大王は 美術磁器の制作に自ら携わり ジャーマンロココを
    確立し 巨利を得たのです。

    欧州磁器戦争史 KPM(王立窯) ロイヤル・ベルリン-1,の詳細 はこちらをクリック

    欧州磁器戦争史 KPM(王立窯) ロイヤル・ベルリン-2,の詳細 はこちらをクリック



  • ロイヤルベルリンKPM 【ベースコレクション】 鶴首壷  H20cm 25%Off
    ロイヤルベルリンKPM 【ベースコレクション】 鶴首壷  H20cm 25%Off
    24,300円

    本体価格: ¥30.000

     
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    ユーゲント・シュティール は、フランス・ベルギーのアール・ヌーヴォーに対応する言葉で、ドイツで刊行された美術雑誌『ユーゲント』に由来し、ドイツ圏の世紀末芸術の傾向を指す語について説明しています。広義のアール・ヌーヴォーと同じ意味の言葉でアーツ・アンド・クラフツ運動以降の世紀末美術、ガウディの建築など世紀末を中心とした各国の美術の傾向を総称する用語は「アール・ヌーヴォー」に詳しい。
    ユーゲント・シュティール 1896年に刊行された雑誌『ユーゲント』に代表されるドイツ語圏の世紀末美術の傾向を指す。「青春様式」と表記されることもある。19世紀末から20世紀の初頭にかけて展開し、絵画や彫刻のほかにも、建築、室内装飾、家具デザイン、織物、印刷物から文学・音楽などに取り入れられた。
    19世紀末頃になると新古典主義などに代表される歴史回帰・折衷様式は「悪趣味」と言われるようになり、芸術家たちはそれまでにない新しいスタイルを求めるようになった。フランツ・フォン・シュトゥックらによって1892年にミュンヘン分離派が結成され、旧来の芸術を批判し新たな芸術を志向する活動が展開される。この運動はその後ベルリンやオーストリアにも波及し、ウィーン分離派(1897年結成 グスタフ・クリムトら)やベルリン分離派(1899年結成)の活動につながった。
    当時ドイツ世紀末芸術の中心地であったミュンヘンで刊行された『ユーゲント』は、イラストレーションの多い大衆的な雑誌であった。石版刷りの斬新な表紙や都会的で若々しい感覚のイラストレーションが評判になり、爆発的成功を収めた。ここから「ユーゲント・シュティール」(青春様式)という言葉が生まれた。やがてミュンヘンやベルリンを中心にした若い芸術家による芸術運動の傾向全体を指して「ユーゲント・シュティール」と呼ぶようになった。
    1899年には、ヘッセン大公であったエルンスト・ルートヴィヒの招聘によりダルムシュタットに芸術家村「マチルダの丘」が形成され、ドイツ語圏におけるユーゲント・シュティール運動の中心的役割のひとつを担った。
    美術雑誌 『ユーゲント』
    ユーゲント 雑誌コロマン・モーザー『洞窟の中のヴィーナス』(1915)
                 コロマン・モーザー『洞窟の中のヴィーナス』(1915)
    コロマン・モーザー(1868年 - 1918年)は19世紀末~20世紀始めにウィーンで活躍したデザイナー。ウィーン分離派の一人。
    アール・ヌーヴォーは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐にわたった。
    第一次世界大戦を境に、装飾を否定する低コストなモダンデザインが普及するようになると、アール・デコへの移行が起き、アール・ヌーヴォーは世紀末の退廃的なデザインだとして美術史上もほとんど顧みられなくなった。しかし、1960年代のアメリカ合衆国でアール・ヌーヴォーのリバイバルが起こって以降、その豊かな装飾性、個性的な造形の再評価が進んでおり、新古典主義とモダニズムの架け橋と考えられるようになった。ブリュッセルやリガ歴史地区のアール・ヌーヴォー建築群は世界遺産に指定されている。

    テオ(テオドールヘルマン)Schmuz-Baudiss(1859ー 1942)ドイツの画家、アールヌーボー陶芸家でした。 1902年から1925年 王立磁器製作所ベルリン(KPM)に勤務していました。1908年に彼は、KPMの芸術監督になり 1925年に引退するまでこのポジションにいました。
    Schmuz-Baudissは デンマークの大手陶磁器メーカー ロイヤルコペンハーゲンやビング&GRONDAHLから影響を受けていたが、すぐに大胆な色彩と高度に様式化された、幾何学的抽象化された植物や動物の装飾を特徴とした独自の特徴的なアールヌーボースタイルを、見つけました。 彼はズグラッフィート(パテシュールパテ)も独自に応用開発しました。
    KPM では、鶴首花瓶、蓋つきボトルでも独自開花しました。
    鶴首蓋ボトル1939 - コピー
    鶴首花瓶            蓋つきボトル
    主な作品は、王立磁器製作所の創立150周年を記念して1913年にディナーサービス「セレス」を発表しました。第二次世界大戦後には 主に美しい風景画プレートを作っております。
    セラミックおよび磁器デザイナーとしてSchmuz-Baudissはドイツのユーゲントシュティールの一流アーティストの一人として知られています。

    1908年 Theo Schmuz-Baudiss原作ー1991年 復刻版  H20cm
    京都にあった代理店さんが廃業のおり 当店が憧れのKPMを割愛いただきました。
    このベース は 1991年 某有名百貨店で開催された「KPMベースコレクション」に復刻された選りすぐりのものです。

    KPM 一輪挿 鶴首 40438774ウラ
    作家サインロゴ 
    製品マークは、選帝侯ブランデンブルクの紋章からきているコバルトブルーの 王の笏がすべての製品に付けられている。更にすべての装飾されたKPMの磁器は、絵職人のマークと絵付けマークが描かれている。

    KPMとは 王立磁器窯 (キングス ボースレイン マヌュファクトリー)
    今でこそ KPMといえば ロイヤルベルリンとイコールですが 本来 マイセンや フュルステンブルグや ニュンヘンブルグ等も 王立磁器窯ですから KPMを 名乗っておりました。

    KPM は、今日でも工場制手工業である。すべての磁器(食器セットとフィギュア)は、手作りで装飾画はフリーハンドで描かれている。

    1763年 7年戦争 戦勝終結の年 フリードリヒ大王は ロイヤル・ベルリン窯を 設立しました。荒廃した国家再興に 大王は 美術磁器の制作に自ら携わり ジャーマンロココを確立し 巨利を得たのです。

    欧州磁器戦争史 KPM(王立窯) ロイヤル・ベルリン-1,の詳細 はこちらをクリック

    欧州磁器戦争史 KPM(王立窯) ロイヤル・ベルリン-2,の詳細 はこちらをクリック



  • ロイヤルベルリンKPM 【ロカイユ】 ポツダム城の花 コーヒーテテアテテセット 25%Off
    ロイヤルベルリンKPM 【ロカイユ】 ポツダム城の花 コーヒーテテアテテセット 25%Off
    1,701,000円

    本体価格: ¥2.100.000

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    テテアテテとは 2人のために
    コーヒーC/SX2,ポット・シュガー・クリーマー・トレイ(47cm) 各1


    ロココ美術は18世紀ルイ15世統治下のフランスを中心に欧州各地に広がった優美な装飾様式。「ロカイユ(貝殻装飾)」が語源。 


    水浴のスザンヌ 
    「水浴のスザンナ」 ジャン=バティスト・サンテール 1704年頃 ルーヴル美術館所蔵。                          

    サンテールはロココ美術萌芽期に活躍した画家でこの作品は彼の代表作である。

    俗福なユダヤ人ヨヤキムの妻スザンナの水浴を2人の長老が覗き見している絵です。プロポーションの美しさを強調する縦に長い手足や胴体。柔らかな光源によって浮かびあがる裸体の曲線美。独得の官能性はマニエリズム的な創造。

    マニエリズム ルネッサンス後期 バロックの奔り ロココの萌芽 ロココをバロックの延長とする学説あり。


    旧約聖書ダニエル記第13章。
    この物語では正当なヘブライ人の人妻が、性欲を持て余したピーピングトム(のぞき屋)によって、いわれのない告発をされる。人払いをして庭で水浴する美しいスザンナを2人の好色な長老たちが密かに見つめていた。彼女が家へ戻ろうとした時、長老たちは彼女の前に立ちはだかり、「我々と関係しなければ、お前が庭で青年と密会していたと告発する」と言って脅迫した。スザンナはこれを拒絶したために脅迫通り逮捕され、ダニエルという青年が異を唱えた時には混乱の内に死罪に処されようとしていた。ダニエルが2人の長老から別々に詳細を尋ねると、スザンナがその下で恋人に逢っていたと主張する木の名前が一致しなかった。1人目は彼らが乳香樹の下にいたと言い、2人目はカシの木の下にいたと主張した。乳香樹(カンラン科の低木)とカシ(ブナ科の高木)では大きさに著しい違いがあり、長老たちが虚偽の証言をしている事はその場の誰の目から見ても明白であった。不正な告発者は処刑され、美徳が勝利を収めた。


    ポツダム宣言は、1945年(昭和20年)7月26日にアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において大日本帝国に対して発された、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条から成る宣言である。正式には日本への降伏要求の最終宣言。
    他の枢軸国が降伏した後も交戦を続けていた日本は、1945年8月14日にこの宣言を受諾し、1945年9月2日に調印・即時発効(降伏文書)に至って第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)は終結した。
    ソビエト連邦は後から加わり追認した。宣言を発した各国の名をとって、「米英支三国共同宣言」ともいう。ナチス・ドイツ降伏後の1945年7月17日から8月2日にかけ、ベルリン郊外ポツダムにおいて、米国、英国、ソ連の3カ国の首脳(アメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマン、イギリスの首相ウィンストン・チャーチル、ソビエト連邦共産党書記長ヨシフ・スターリン)が集まり、第二次世界大戦の戦後処理について話し合われた(ポツダム会談)。
    ポツダム会談
    ポツダム宣言は、この会談の期間中、米国のトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相と中華民国の蒋介石国民政府主席の共同声明として発表されたものである。ただし宣言文の大部分はアメリカによって作成され、イギリスが若干の修正を行なったものであり、中華民国を含む他の連合国は内容に関与していない。英国代表として会談に出席していたチャーチル首相は当時帰国しており、蒋介石を含む中華民国のメンバーはそもそも会談に参加していなかったため、トルーマンが自身を含めた3人分の署名を行った(蒋介石とは無線で了承を得て署名した)。日ソ中立条約の手前ソ連は署名していない。

    ポツダム宣言受諾御前会議
    ポツダム宣言受諾御前会議

    1945年8月14日、日本政府は宣言の受諾を駐スイス及びスウェーデンの日本公使館経由で連合国側に通告、このことは翌8月15日に国民に発表された(玉音放送)。9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎及び連合各国代表が、宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した。これにより、宣言ははじめて外交文書として固定された。

    パンパンとは、第二次世界大戦後の混乱期の日本で、主として在日米軍(進駐軍)将兵を相手にした街頭の私娼(街娼)である。「パンパン・ガール」「パン助」「洋パン」ともいう。特殊慰安施設協会(RAA)の廃止に伴い職を失った売春婦が街頭に立ちパンパンとなったといわれるが、RAA廃止前からも見られていたともいう。
    「パンパン」は不特定多数の連合国軍兵士を客としていた者を指すことが多く、これに対し特定の相手(主に上級将校)のみと愛人契約を結んで売春関係にあったものは「オンリー」または「オンリーさん」と呼ばれた。

    「パン助」「洋パン」
    戦後の都で流行るもの パンパン・ガールのパンチラダンス


    上代¥2.2268.000は 二昔前 未だ京都に 代理店があった頃のものです。
    今なら 幾らするんですかね。


    KPM最高のロカイユ(ロココ)シリーズ そのまた最高のポッダム城の花


    ポツダム城
    ポツダム城


    古い黄色は 年月を重ねると色褪せるのですが アンティック業者は 褪せたというと 値打ちが下がるので 月日に練れたと 古さを強調して 糊塗せねばならない黄色ですが どうですか この黄色は! 四半世紀を経て まだ この鮮やかな発色は!


    欧州磁器戦争史 KPM(王立窯) ロイヤル・ベルリン-1,2,の詳細はこちらをクリック してください。

    ウェッジウッド 1,2, リチャードシノリの次にあります。


    1763年 7年戦争 戦勝終結の年 フリードリヒ大王は ロイヤル・ベルリン窯を 設立しました。荒廃した国家再興に 大王は 美術磁器の 制作に 自ら携わり ジャーマンロココ(ロカイユ)を確立し 巨利を得たのです。ビーダーマイヤー時代には カール・フリードリヒ・シンケルを得て 窯は 時のリーダーとして 名声は上る一方でした。それは セーヴルと共に マイセンをしのぐ勢いでした。



  • ロイヤルベルリンKPM・レリーフツェラート狩猟文金彩 コーヒーテテアテテセット
    ロイヤルベルリンKPM・レリーフツェラート狩猟文金彩 コーヒーテテアテテセット
    2,700,000円
    本体価格: ¥2.500.000

    コーヒーC/SX2,ポット・シュガー・クリーマー・トレイ(47cm) 各1

    1988年 王立225年記念
    前身創窯は 1751年に遡るのに 王立1763年を以って KPM創立とは いかにも生真面目なドイツ人気質 フリードリヒ大王の 人となりが判ります。
  • ロイヤルベルリンKPM・クァランド コーヒーC/S 150cc ターコイズ 25%Off
    ロイヤルベルリンKPM・クァランド コーヒーC/S 150cc  ターコイズ 25%Off
    145,800円

    本体価格: ¥180.000

    No.2 売り切れ

    1780年 フリードリヒ・エリアス・マイヤー作
    ネオクラシックの代表作 
    アンティック・ツェラート(古典装飾)名でしたが 
    クァランド公爵のご注文を機に クァランドに改名

    KPMとは 王立磁器窯 (キングス ボースレイン マヌュファクトリー)
    今でこそ KPMといえば ロイヤルベルリンとイコールですが 
    本来 マイセンや フュルステンブルグや ニュンヘンブルグ等も 
    王立磁器窯ですから KPMを 名乗っておりました。

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